日々是勉学


by rotarotajp
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お盆に思うわが祖父殿

 5.15事件で海軍青年将校に「問答無用」と射殺された犬養首相は、変死であるから検死解剖に処された。その検死の場に、まだ若かりしわが母方の祖父殿は医者だか医者の見習いだかの資格で立ち会ったそうだ。「いま撃った奴連れて来い。よく話してきかせるから」が最後の言葉だった宰相の死顔は、さて、穏やかだったのか、無念の顔だったか、はたまた憤怒の形相か。その辺の逸話は全然伝わっていない。ただ手柄話調に「立ち会った」ことだけが伝えられていて、その場面を描かせた絵などがある。
 さて、その後、祖父殿は北京で医者を開業する。
 何も最初から開業する気ではなかったらしい。北京に到着してその日のうちに現地のお偉いさんと大喧嘩して、本来の勤め先を追われたと聞いている。開業はあくまで突発事。
 このように、祖父殿は一族に「血の気の多い人」として記憶されている。伯母が子猫を拾って帰った時など「そんなものはいらん」と、乱暴に子猫を掴み、柱に叩き付けたのだそうだ。子猫は二度三度、ふらふらと歩いて倒れ、泣きながら伯母が抱えあげた時には死んでいた。
 北京の医院は大繁盛。敗戦でその全てを失い、身一つで釜山から敦賀に渡る船にもぐりこみ、ようようの事で内地の土を踏んだ。
 祖母一族の助けで、その後も医院を経営する幸運に浴したが、北京での贅沢と、おそらくは敗戦で荒んだ精神が、祖父の頭のネジを狂わせていたのだろう。
 医院の経営そっちのけで、この時期没頭したのは赤鉛筆と株新聞。やがて株で大損、財産の多くを失った。「絶対大丈夫!」と、おだてられて挑戦した国政選挙も落選。
 当時、選挙に出れば、相当な地主さんでも無一文になるほど金がかかった。
 落選のその日、警察が大挙してやってきて、選挙違反の数々を暴いたそうである。司直の手を逃れるように、祖父殿は坂東に逃れた。つまり単身赴任で東京に出向いたのである。
 やや遅れて、当時中学生であったわが母上がこの祖父に同行した。
 東京での生活は修羅場であったらしい。
 運に見放された祖父殿は荒れているし、なにぶん怖い人でもあるし、遠く離れた故郷で大学生活を送る姉たちは見向きもしてくれないし、祖母は地元で旅館を経営し、なんとか家計を成り立たせているので、とても東京の面倒までは見切れない。三度の飯から洗濯掃除、すべて母の役で、しかも祖父殿は家計に無頓着だから、自分の飯は食っても母上の飯には気付かぬ時がある。それでいて醤油を一滴こぼすだけで、「もったいないことをするな!」と瞬間湯沸かし器。爪に火を灯して、再起に奮闘したのである。同世代の女の子が年頃でキレイになっていく中、わが母上はアカギレだらけの手を隠し、終始弱みを見せない姿勢を貫かれたそうだ。
 母上は今でもそんな性格で、人の病気にはうるさいくせに、自分が病気などになると天岩戸を閉めてお隠れになってしまうから困ったものだ。
 何にせよ、祖父と母は貧に洗われる苦しい時を一緒に過ごした分、戦友愛のようなものが互いの間にあったそうで「目を見れば何を考えているかわかった」とは母の弁。
 東京での祖父殿は医者関連の御役人である。ここを詳しく書くと身元が割れるかもしれないので省いておくが、宮勤めでも祖父殿の性格は変わらなかった。
 現職某大物総理が出席するパーティーで気炎をあげ、総理にもため口である。総理もまさか一介の役人とは思わなかったらしく、帰り際に「あれは誰だったかな?」と御付の者に尋ねたと、これも一族の伝承として残っている。
 晩年は勲章を頂いて、一族にもその記念品とお裾分けが来た。叔父の家にある仏壇には正五位の額縁がかかっている。

 さて、祖父は二人いるはずで、一人を書くだけでは片手落ちだ。もう一人の祖父についても知っているだけのことを書いてみよう。

 父方の祖父殿は新聞記者であった。某A新聞で、今でこそメディアは第四権力などといわれるが、当時はまともな人間の仕事とは思われていなかったらしい。いわゆる「ブンヤ」で、昼も夜もない生活である。
 戦争に行って南方でマラリアにかかり、抑留され、やせ細った身体で日本に帰った。特に勲章を貰うような事もなく、その後も地味な新聞記者の仕事を続けた。何冊か出版した著作もあるが、いかにも新聞記者然としたもので、今は手に入らない。
 こちらの祖父については情報が少ない。父は寡黙な人だし、祖父もまた寡黙な人であったそうだ。
「いつも机に向かって、物静かに調べものをしている」が母の祖父に対する感想だ。
 残念ながらこの祖父殿には二度、三度しかあった記憶がない。その最後のものは病室で、白いシーツから差し出された痩せた手がかすかに思い出される。
 祖母が引っ越すというので、この祖父の部屋の片づけを手伝ったが、出てきたのは山ほどの紙の束であった。勉強中であったサンスクリット文字の手引きから、西域の諸々、そして新聞の切り抜き。中には祖父の手がけた記事もあったのかもしれないが、あまりに煩雑とし過ぎて、確認できるものではなかった。このゴミの山が祖父には何モノにも換え難い宝物の数々であっただろう。Rotaにはよくわかる。
 改めて自分の周囲を見渡し、自分の積み上げた本や紙の束を見る。
 「他人にとってはゴミなのだ」と思うと、少し不思議になる。

 祖母二人は元気である。
 女性は強い。
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by rotarotajp | 2006-08-19 20:11 | 私事