日々是勉学


by rotarotajp
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Marie Antoinette

 そこはかとなくソフィア・コッポラの映画「マリー・アントワネット」がアンテナに引っ掛かってくるのは気のせいかもしれない。予告編にNewOrderの曲を使ったあたりから、すでに歴史家や重厚なマニアの厳しい批判が集まってはいた。「もともと軽薄なイメージのあるマリー王妃の印象がますます下落するではないか!」と、さるマリー王妃研究家はのたまったそうだが、そんな人でもマリー・アントワネットが世紀の哲学者だったとも、学究の人だったともいえはすまい。フランスの偉大な業績の多くは、太陽王の前後から極めて軽薄な若者たちによって形成されてきたのだ。正常な人間がヴェルサイユなど造成したりするものか。王妃は間違いなく、ヴェルサイユの歴代の遊び人の中でも、一、二を争う軽薄な遊び人だったろう。彼女の記録を読む限り、革命以前はそれだけの人だったと思う。ウィーンの厳格な母親から離れて爆発したのだ。
 マリー王妃が偉大性を獲得し、歴史に名を留めた理由はただ一つ、細い首を断頭台で斬りおとされたから。その凄惨で過酷な運命が彼女を世紀を代表する女性に押し上げた。「パリ風俗史」アンドレ・ヴァノン著(講談社学術)に革命の風景が描写されている。
「マリー・アントワネットの側近、ランバル公妃は、死骸の山の中でつまづき、スカートを引きちぎられ、腹を割かれた。両の乳房を切り取られ、細かく切り刻まれた身体は翌朝まで下層民のおもちゃにされた」~中略~「人々は死に化粧をほどこし、髪を結い上げた夫人の首を槍の先に突き刺して、国王一家の幽閉されているタンプルの牢獄まで練り歩き、窓越しに見せびらかした」(異説はゴマンとあることは承知の上で、革命の雰囲気を伝えていると思われるので引用した:Rota注)~中略~「刑場に赴く護送車に向かって「死んじまえ!」と叫ぶ群衆に「死んでやろうじゃないの、ゲスどもが。死んでやるとも!」と応じる老婦人。この不敵な女性には、かつて自分の召使だった連中とじっこんにする気など、毛頭なかった。」
 軽薄な王妃はこの革命を見続けたのだ。王妃は急激に老成した。シテ島で彼女が最後の時を過ごしたという牢を見たが、直前に訪れたヴェルサイユとの余りの格差に暗然とした。
 刑場にひかれる彼女の姿をダヴィドが描写している。とても38歳には見えない。彼女が「若く綺麗だった」と証言するものもないから、絵の通りの姿だったのだろう。
 1793年10月16日12時15分、マリー王妃は処刑された。

ウィキに掲載されているダヴィドの絵
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by rotarotajp | 2006-10-14 21:18 | バロック