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日々是勉学


by rotarotajp
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不如学也

 中学生の頃、国語の先生に「学習の意味」を解説していただいた。
先生曰く「学」とは考えること、「習」とは真似ることである。この二つがあわさって「学習」となる。とのことであった。
「中学校ぐらいまでの勉強は習う、つまり真似だ。真似は簡単にできる。でも高校、大学の勉強は学ぶ、つまり考え、新たに創造することだ」が先生の口癖であった。

 論語の衛霊公篇にこんな一章がある↓

子曰吾嘗 子曰く われかつて
終日不食 終日食らわず
終夜不寝 終夜寝ねずして
以思無益 もって思うも益なし
不如學也 学ぶに如かざる也

 これを先生の御説に即して「思うに益なし、学ぶに如かず」とボクは捉えた。
 つまり考える事(創造的に)が重要なのであって、漠然と思っているのではイカンという事なのだと。これはボクの言葉にすると「白昼夢と思索の差」である。

 が、先ほど念の為に語源を確認したら「学ぶ」は「まねぶ」=「真似る」から来ているのだという。

・・・・・
・・・

 ○○○中学校国語担当の○○先生。違うじゃありませんかっ!(T-T;

 まあ、大きな意味ではきっと間違っていないと思う。より現代的に、よりポジティブに捉え過ぎていたというトコロだ。(そうだ。そういうことにしておこう)

以思無益
不如學也

 要するに孔子はここでも、論語全体において一貫している主張と同様、形式の継承を薦めているようである。
 先人の知識に学べ(真似よ)と。

 東洋権威主義の発祥元だけのことはある。

 上記の国語担当教師殿はその後日本を捨てて外国に移住してしまわれた。(教え子たちは皆さもありなんと思ったものだ)たぶん今も外国に住んでおられるはずである。

 様式も形式も、知識も、すべて大事だろうけど、それは所詮基礎だ。その上に何を残せるかが人の偉大さだと思う。

 世界を征服した欧米には「学ぶ」=「真似る」受験戦争なんてものはない。ああいった「受験戦争」があるのは発展途上国、第三世界だけだ。
 詰め込みは手っ取り早く字が読める労働者を工場に送り込むための方便。知識が幾らあっても幸せにはなれない。創造的にもなれない。
 基礎がいくら丁寧に出来ていても、その上に立つのがプレハブ小屋では情けない。豪華絢爛な大宮殿を建てよう。彫刻や絵画や、音楽に飾られた、炎のように輝く宮殿を。

 誰に見えなくてもいい。ボクには見えているノダ。(なぜか泣けてくるけどネ)

 チョコ食べ過ぎて血糖値あがったかな(汗
by rotarotajp | 2008-01-26 21:24 | 私事