日々是勉学


by rotarotajp
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

カテゴリ:未分類( 3 )

危険地帯アマゾン

わたしはヒトラーただ一人の友人だった!とぶちあげたのは、確かアルベルト・シュペーアだったと思うが、その回顧録なぞとっくに絶版と思っていたら「第三帝国の神殿にて」という題で中公文庫から出ていることに気付いてしまった。悪魔はこうしたところから忍び寄る。そも始まりは水木しげる著の劇画「ヒットラー」であった。ヒトラーではなくヒットラーである。ヒットラーというと、どことなく禍々しさが漂う。流れ滑っていくようなヒトラーとは一味違うのである。その劇画を読んで、そもそもくすぶっていたヒトラー熱に再度火がついてしまった。そこでヒトラー関連本をアマゾンで検索しはじめると・・・・まず上述の「第三帝国の~」が出てきて、その他、DVDまで含めてぞろぞろと読みたい本&観たいDVDが・・・・一冊一冊はさほどでもないが、集合体となると、まさに塵も積もればマウンテン。カートの商品がずっしりと圧し掛かって来て押しつぶされそうである。実にアマゾンは危険な場所である。こちらの財布を食いちぎろうと、あの無害に見えるデザインのHPの下に金食性の猛魚がうようよと群れている。またそこを探検するのが、こちらにとっては無上の楽しみときてやがるから救われない。トコトコ御近所の本屋さんに出掛けて「欲しかった本がないや。ま、いいか」と諦めていた時代が懐かしいっす。・・・が、いくら懐かしくとも、あの時代に戻りたいとは思わない。黄金の80年代ポップスみたいなもんですね。あの頃のホワーンとエコーがきついファミコン・ポップスがもう一度流行りだしたら脳回路が故障します。でも懐かしい(;´Д`)ノあの頃はよかったなぁ・・・って18歳だから勿論よくは知らないんですがね。マドンナのライクアバージンとかリアルタイムで聞いてないですよ。マイケルジャクソンのスリラーとかもね。フットルース?しらないなぁ・・・
[PR]
by rotarotajp | 2006-06-14 00:58

わだつみ

今日は暇&鬱なのでもう一個投稿。
ずっと以前、自分で確認の為に調べた記憶がないから、おそらく小学生か中学生程度の頃だと思うが、誰かに「きけわだつみのこえ、のわだつみって何ですか?」と尋ねた事がある。その方は、おそらく詩的に「それは海の波のことだよ」と教えてくださった。そんなわけで、Rotaはずっと「わだつみ」を波だと思ってきたし、「きけわだつみのこえ」の文字で喚起されるイメージは、海岸に押し寄せる灰色の「波」であった。そして「わだつみのこえ」はその波の囁きであった。ところが先日、別件で辞書を眺めている時に、この「わだつみ」が「海神」または「海」の事であると知った。18歳にして迂闊なことで紅顔汗顔の至りである。この「海神」という表現を読んだその時、波に洗われた白い骨にドス黒い腐肉がついたような不快を感じた。自分が「神」という言葉に反発を感じることも知らなかったから、これは二重の驚きである。「きけ海神の声」ではいかにも説教くさいではないか!かつて「海の波」と教えてくださった方も、あるいはそう感じておられたのかもしれない。
さて、ところで「きけわだつみのこえ」という書物そのものには多く批判がある。とてもそこに踏み込む知識はないが、Rotaはボンヤリと「わだつみ~」は日本版「アンネ・フランクの日記」のようなものだと考えている。悲劇を隠れ蓑に本来捉えるべき事柄を捉え難くくしていると思うのだ。「アンネ・フランク」はナチの凶悪さを示す書物ではない。実際の虐殺は無数のドイツ国民(とその協力者)が行ったものだ。多くの人がナチに賛同し、その行為を応援し、協力した。これは人間一般が持つ「悪」の物語のはずである。ところがアンネ・フランクはナチの特殊な悪を燻りだす道具に使われている。悲劇を看板にして特定の「悪魔」を作り出し、そこに「穢れ」を押し付ける姿勢は、どうも感心できない。「学徒出陣」は日本国民の要請だった。総動員の中で行われたのだ。学徒は天皇や軍国主義の犠牲になったわけではない。日本の犠牲になったのだ。これは「学徒」だけのことではない。例えば「原爆」の取り扱いにも奇妙な偏向と「ねじれ」がある。原爆はアメリカの判断で落とされたものだ。この非人道行為の責任は、まず第一にはアメリカにある。数百年後の教科書は、きっと「最初に核を使った国」としてアメリカを非難するだろう。広島長崎の前にはゲルニカ空爆の悲劇も色褪せる。サヴォナローナじゃあるまいし「原爆」を解釈して「罪ある我らに神の怒りの剣が振り下ろされたのだ!」と絶叫する人々はどこかおかしい。「わだつみ~」から汲み取るべきは、若者が日本の人々の為に死んだという事実だ。彼らになりかわって特定のものを攻撃するのは、ドイツ人がナチを一般から浮き出た特別なものとして再構成し、頬っかむりするのと変わらない。(これはナチの支配下に置かれた欧州全土で起こった問題である事も忘れてはならない。ユダヤ人絶滅に共感したのはドイツ人だけではない。それ故にこそナチの再構成は欧州の多くの人の支持を受け、既成事実化されている)さらに一点、今に伝えられる「戦争の悲劇」は、すべからく「敗戦の悲劇」である。「勝ち戦の悲劇」などというものは、普通問題にされない。戦争に負ける、その過程が悲劇となるのである。悲劇を悲劇と認識するなら「次の戦争」で負けない国家の形ををつくる努力を怠ってはならないとも思う。軍事の研究を怠り、精神論の「平和」を推し進めた挙句、生か死かの極限でまたしても特攻に頼らなければならないとしたら「悲劇に学ばぬ愚か者」との非難を甘受する他ないではないか。その時には「海神の非難の囁き」も大音響の絶叫にかわるだろう。
[PR]
by rotarotajp | 2006-02-16 14:07
ふと思い立ってネットで調べたロレンツォ・デ・メディチの例の歌です。
二つ訳文を見つけました。どちらも訳者の方がどなたかわからない形で引用されておりまして、そのまま引っ張ってきていいものかとチョット悩みましたが、まあ、たぶんいいでしょう。

a)
若いっていいもんだ      
けれども花はすぐに散る    
遊びたいなら今のうち     
確かな明日はないものを

b)
青春はいかばかりか美しき 
されどそれははかなく過ぎゆく
楽しからん者は大いに楽しめ 
明日の日は 確かならず

これはカーニヴァルで歌う為に造られたものだそうであります。上の部分は歌の冒頭で、本来はもっと長い歌です。原文はたぶん以下

Berricuocoli, donne, e confortini!
se ne volete, i nostri son de’ fini.
Non bisogna insegnar come si fanno,
ch’è tempo perso, e ’l tempo è pur gran danno

全然意味不明、Rotaさまに読めるシロモノではないので、まったく違う詩かもしれません。もしそうだったらゴメンなすって。
なんでそんな無理をして、この詩を探してきたかというと、以前にどこかで読んで、わりと長い間心に残っているからです。昨日ルネッサンスの事をチラリと書いたので、その続きみたいなものですね。豪華王と呼ばれる人に相応しいイイ感じの歌です。

こうした詩は東西を問わないようで、三国志演義の準主役!曹操さまの詩にそっくりのがあります。Rotaの超訳を付加いたしますと・・・飲めや歌え、人生は短いぞ!まあ、例えるならすぐに消え去る朝露のようなもんだ。過ぎた時間ばかりが増えていく・・・・豪華王のに比べると、ちょっと暗いですかな。

対酒当歌
人生幾何
譬如朝露
去日苦多

豪華王の最晩年にはサヴォナローラの影がのびて、フィレンツェは黄金の時代から、神権政治の鋼の時代に入ります。日本で言うと・・・どうだろう・・・秀吉から家康みたいなものですかね?祝祭の後には反動がある。酒も飲みすぎれば二日酔い。それでもよく飲みすぎてしまうのは、今の楽しみは儚いと知っているせいでしょうか?まさに「明日の日は確かならず」です。
フッイツ・ジェラルドじゃありませんが、今が「幸せの絶頂」の時代なのかもしれません。遠からず、何か恐ろしい事が起きて、何もかもが零になる・・・酔いがさめてしまう・・・そんな「漠然とした不安」を感じないでもない、ちょっと文学青年風に書いた本日の日記でありました。
[PR]
by rotarotajp | 2005-09-01 10:33