日々是勉学


by rotarotajp
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カテゴリ:バロック( 50 )

心臓

 ゲロコミーという、何やら日本語にすると汚い発音の若返り法がドイツで話題になった時期があるそうです。内容は要するに(男が)若い女性を周辺に配置しておくと歳をとらないという、実に即物的というか、動物的な思想です。
 イタリアで女学校の校長をして115歳まで長生きをした人物があるのだそうです。ゲロコミーはこうした例を「学校の少女らが発散する体臭」が寿命を永らえさせたのだと考えるのです。(匂いのエロティシズム~集英社新書、他)
 同様のものとして旧約聖書に起源を持つシュナミティズム、他にレクタミア、バンドリングなどがあるそうですが、これ全てコトに及んでしまっては効果がない。
 そういったところは道教やらの「もらさず」の思想と同じです。

 子孫繁栄の道をやたらと無分別に突き進んでば、雄は役割を終え、早死にしてしまいます。カマキリをはじめ、そうした種は多くあります。
 つまりヤラズブッタクリが雄にとってはよいのだと、こういう御ハナシなわけです。
 秘するが花といい、また煙になった後に知れともいって、男文化の多くで人間の動物的性格の一部が秘匿されるのは、性愛が暴力に負けず劣らず雄の寿命を削るからなのかもしれません。

 さて、愛といえばやはりハート、心臓です。中世ヨーロッパでは、心臓は愛と感情、敬神の棲家でした。SHE BROKE MY HEARTなんてのは、即物的にその辺を描写したもので、女性が男性の胸に白い手を突き入れて、彼の心臓を文字通り握りつぶして破壊してしまう、そうした恐ろしいイメージなのであります。
 バレンタインのチョコが心臓型なのは心臓を食べてくれということですから、これもよく考えれば怖い。カニバリズムの変形ですね。まあ、食欲と性欲は源がだいたい一緒の所にあるそうですが・・・。
 愛が心臓にあるなら、知性は頭脳にある。これは結構昔から認識されていたようです。太古の昔から知性と愛はベツモノ。むべなるかな、社会的地位の高いおっさんが買春で次々と捕まるのも無理なきことなのです。

 日本の場合、知性の方はどう捉えられていたのか知りませんが、魂は肝にあるとされていたようです。ハラ掻っ捌いて、そこに邪悪なものが隠されていないことを見せる。それが切腹です。「みろ、なにも隠されていないぞ」と自分をさらす行為なのです。
 ハラに力を込めろ!とはいいますが、胸に力を込めろ!とはいわない。心臓の地位は欧州に比べると低かったようですね。

 さて、すべての生物にとって生殖欲求が行動の主動機であるとしたなら、この人間の世は実に倒錯した異常な世界といえるでしょう。愛を心臓やらチョコやら内臓やらに仮託したり、はたまた長寿のために衝動を無理に押し殺したりする。
 愛を「すえた臭いを放つ固形化したロマンティシズム」といったのは誰だったかな・・・ううう・・・本を探すのが面倒なので飛ばしますが・・・・我慢に我慢を重ね、そういう状態に加工しても、愛はそれなりに美味なものなのかもしれません。
 根岸鎮衛の「耳袋」(東洋文庫)に「女妖の事」という一節がありました。
 何のことだと読んでみたら、八三歳の女性が五六歳の男性と夫婦になりたいと願い出たというお話しでした。よほど恋しあった間柄だったのでしょう、主人の名主新右衛門の許しがなければ駆け落ちしてでも一緒になるという。致し方なく許しを与えて一緒にしたところ、近頃まで腰の曲がった八十代の女性だったのが、立ち居振る舞いから何まで、五十代にも若返って見えたそうです。
 それが妖怪じみているから「女妖」。ひどい題ですが、人間の面白い生理の一面をよく表していると思います。
 とまりかけてた心臓が元気に動き出すのかもね。
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by rotarotajp | 2009-02-17 20:38 | バロック

大戦 TheGreatWar

「八月の砲声」(TheGunsOfAugust)バーバラWタックマン(ちくま学芸文庫)上下
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Guns_of_August
の、下の途中まで読みました。視座が少々変な所にあって面白いですね。第一次世界大戦ものといえば「サラエボの銃声」「黒い手」から始まるのが一般的でしょうが、本書では英国王エドワード七世の葬礼から始まります。帝国主義の君主たちが集う美しく陰鬱な一幕です。
 サラエボの暗殺劇は僅か半ページ。
 戦争準備によってほとんど機械的に開戦となったのだという著者の歴史観を際立たせる為の構成と思われます。

 本書は全般にドイツに厳しく、連合国、特にフランスに対する視線が柔らかいようにも感じました。(途中意図してかせずしてか、あるいは翻訳上の言葉の綾か「反動」というイデオロジックな言葉が出ていて、興醒めしました。こうした書物で絶対に使ってはならない種類の言葉で、もし翻訳上のミスなら、残念ながら本書の価値を大いに削いでいると思います)

 中立国ベルギーのアルベール国王は大方の予想を裏切ってドイツ軍を迎撃。ドイツ軍は意外な抵抗を受けて暫時停滞。やがてドイツ軍による一般市民の無差別処刑へと事態は発展します。

 ヒトラーのドイツも同じ右回りの作戦を取りましたが、低地地帯の争奪は太陽王以前の時代からの伝統。グーグルアースなどでぼんやり眺めるとドイツからパリに向かう直線をベルギーがドンっと塞いでいる。しかもベルギー南端からアルザスまでフランスの要塞線が築かれているとあっては、まあ、ドイツの立場に立てば先手を打ってベルギーに侵攻したくなるのもわかるような気がします。「中立」というのはあくまで抽象的な概念に過ぎません。例えば日本はソ連と不可侵条約を結びましたが、結局45年になって攻められています。こうしたソフトなものはそれを保障しうる軍事力があってこそのことで、生命を預けられるようなものではありません。あらゆる国際条約は互恵の関係でなければ成り立たないのだろうと思います。このベルギーの「中立」に関しては、現代の日本などを連想しつつ、特にそのことを強く思います。ドイツとしてはドイツが不利になったところで中立国ベルギーがフランスやイギリスの軍隊を引き入れたなら、逆に自分が包囲されることになります。著者は先制してベルギーに侵攻したドイツ幕僚団の判断を責めますが、炉は見当違いの意見だと思いました。

 さて・・・
 下巻「ルーヴァンの火焔」は本書中でも最も印象に残る一章ではないかと思います。詳細はぜひ本書を購入して御確認ください。色々と不満はありますが名著には違いないので、決して損はいたしませぬ。

 「すべての戦争の母」「大いなる戦争」世界大戦。地表の殆どを制覇した欧州の内戦、植民地を巻き込んで、あらゆる国、民族?が影響を蒙りました。第二次大戦は第一次大戦の尻尾といってもいいほどです。
 感傷的で、繊細で、戦争の描写が投やりで、上品な嘲笑のようにも思える本書。しかし最近読んだ本の中では白眉でした。
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by rotarotajp | 2007-10-22 21:34 | バロック

l'ange de l'assassinat

d0052110_1855678.jpg シャルロット・コルデー(Marie Anne Charlotte Corday d’Armont)といえばフランス大革命の「暗殺の天使」。
 浴槽につかった「人民の友」マラー(Marat)の胸に包丁を突き立てた女性です。理由は「彼が生きているともっと人が死ぬから」。ノルマンディー地方の古都カーンからわざわざパリまで出てきているんですね。どの程度かはわかりませんが、ジロンド派の影響を受けていたともいいます。
 マラーは当時山岳派に属し、恐怖政治(la Terreur:この語源でもある)を敷いていました。

 有名な革命肖像画家Davidが現場で描いた暗殺直後のマラーの肖像は極めて有名です。


http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Death_of_Marat_by_David.jpg

 マラーの死後ロベスピエール(Robespierre)に率いられた会派は益々その政治手法を徹底させ、ついに反動の日に失脚するまでに数千の人々(数については諸説あって定まらないようだ)が断頭台に送られました。

 マラーは残忍だったといわれますが、面会を希望する田舎出の娘を疑いもなく近づけているあたり、「人民の友」(L'Ami du peuple)(彼が発行していた機関紙の名前。転じて彼のあだ名ともなった)にふさわしい、人の声を聞く指導者だったのではないかと思われます。

 マラーもコルデーも、その後のフランスの歴史(帝政:王政復古:共和政)の中で、目まぐるしくその評価が変わっていきますが、現代では政治色も失せて、大革命を彩る際立った個性の群像の中に美しく溶け込んでいます。

 で、なぜ突然シャルロット・コルデーかといえば、この人の場合、有名な肖像画があるのですが、その肖像画が裁判の時に、なんと彼女自身の熱烈な希望によって描かれていたと今日知ったからなのであります。下の二つ目のリンク先にあるHPには「彼女の牢獄の中で断頭刑執行二時間前以内に完成した」と解説があります。

http://www.vimoutiers.net/imagesCC/CCHauerw.jpg
http://www.vimoutiers.net/charlotte_corday.htm

http://www.histoire-en-ligne.com/spip.php?article161

 何てこともないのですが、それを知った時のRotaの「うわーっ」という気持ちをお伝えしたかったわけなのであります。

 彼女が法廷に現れた瞬間、傍聴席は暫時静まり返ったといいます。
 この時代の事とて年齢はハッキリしないのですが、25歳ぐらいだったそうです。
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by rotarotajp | 2007-09-15 17:37 | バロック

エルサレムのギー王

 ハッティンの角でサラディンの奇襲を受け、エルサレム陥落の直接の原因を作った王ギー・ド・リュジニャン。この合戦でテンプル騎士団総長リドフォードと共に虜囚の憂き目をみます。

 この二人、実に歴史上、評価が低い人物でありまして、イスラム教側にもキリスト教側にもロクな証言が残されておりません。この人たちの周囲に配置されるのはキプロス島を略奪した強盗騎士ルノー・ド・シャティヨン等、錚々たる悪人ばかり。

 もっとも歴史に悪人のレッテルを貼られたといっても、この当時、真に最大最悪の人はヴァチカンに巣食った(後世の新教徒風にいえば)大悪魔でありまして、末端のこれら騎士たちの悪行は、免罪されるとの確信あったればこそのものと思われます。

 さて・・・、サラディンは聖都エルサレムからのキリスト教徒の避難を許しましたが、当時の風習として身代金を課しました。(この時、テンプル騎士修道会は金融業で莫大な利益を得ていたのに(本来は宗教上の罪となるのですが)僅かな身代金支払いを渋り、多くの人を奴隷の境遇に落としたといわれています)
 ギー王とリドフォードも格別巨額の身代金を払って自由の身となります。もしこれが現代でしたら「この二人を自由にするほどの金があるなら、一人でも多く残されたエルサレム自由民を救ったらどうか」という議論になるでしょうが、なにせ当時のこと、貴人騎士を優先するのは当然でありました。

 索漠とした中東の砂漠の景色の中で、鋼鉄の冑と鎖帷子をまとって戦った騎士、従士、歩卒。その妻と子供たちの悲喜劇を思うとき、宗教の暴虐と死臭の合間に、何ともロマン溢れる情景が頭をよぎります。

 ギーやリドフォード、強盗騎士ルノーのような人物は、おそらく誰にも尊敬はされないでしょうが、人間臭さを強く発散させる、この時代の悪人の典型の一つとして、これからも奇妙な形で愛されていくのではないでしょうか?
 無論、サラディンのかっこよさは別格ですが・・・。

 拙者が変な人ばかり好きになっているだけかしら・・・汗
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by rotarotajp | 2007-04-22 14:44 | バロック

黄金仮面

 昔のニュース映像で、昭和天皇の観艦行をつらつらと見ましたが、君主制日本の、一糸乱れぬ美しさのようなものが滲み出ていて、圧倒させられました。これがナチ国家や共産国家のグース・スッテプ調のものではなくて、・・・どう表現したものか、なにやらプロシア王国的なのです。映像の最初に、おそらく昭和天皇の映像があるからでしょうが「脱帽」と但し書きがあるのも面白い。解説者の駆使する最大限の敬語にも風格があります。そして何より正装した高級軍人の胸を張った姿を印象深く感じました。ある戦史本で作戦を終えて艦を降りる宇垣纏中将を「黄金仮面」と描写する場面がありましたが、実際の映像を見て「なるほどなぁ」と・・・。この当時の海軍高級軍人には何か後光のようなものが差して見えるようです。不思議と陸軍の映像ではそれを感じませんが・・・。
 Rotaはもちろん戦後の民主社会の素晴らしさを否定するわけではありません。しかしながら、歴史となった過去、それも長い間否定されてきたモノの中に、意外な美があるのは確かだと思います。
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by rotarotajp | 2006-10-24 20:46 | バロック

Marie Antoinette

 そこはかとなくソフィア・コッポラの映画「マリー・アントワネット」がアンテナに引っ掛かってくるのは気のせいかもしれない。予告編にNewOrderの曲を使ったあたりから、すでに歴史家や重厚なマニアの厳しい批判が集まってはいた。「もともと軽薄なイメージのあるマリー王妃の印象がますます下落するではないか!」と、さるマリー王妃研究家はのたまったそうだが、そんな人でもマリー・アントワネットが世紀の哲学者だったとも、学究の人だったともいえはすまい。フランスの偉大な業績の多くは、太陽王の前後から極めて軽薄な若者たちによって形成されてきたのだ。正常な人間がヴェルサイユなど造成したりするものか。王妃は間違いなく、ヴェルサイユの歴代の遊び人の中でも、一、二を争う軽薄な遊び人だったろう。彼女の記録を読む限り、革命以前はそれだけの人だったと思う。ウィーンの厳格な母親から離れて爆発したのだ。
 マリー王妃が偉大性を獲得し、歴史に名を留めた理由はただ一つ、細い首を断頭台で斬りおとされたから。その凄惨で過酷な運命が彼女を世紀を代表する女性に押し上げた。「パリ風俗史」アンドレ・ヴァノン著(講談社学術)に革命の風景が描写されている。
「マリー・アントワネットの側近、ランバル公妃は、死骸の山の中でつまづき、スカートを引きちぎられ、腹を割かれた。両の乳房を切り取られ、細かく切り刻まれた身体は翌朝まで下層民のおもちゃにされた」~中略~「人々は死に化粧をほどこし、髪を結い上げた夫人の首を槍の先に突き刺して、国王一家の幽閉されているタンプルの牢獄まで練り歩き、窓越しに見せびらかした」(異説はゴマンとあることは承知の上で、革命の雰囲気を伝えていると思われるので引用した:Rota注)~中略~「刑場に赴く護送車に向かって「死んじまえ!」と叫ぶ群衆に「死んでやろうじゃないの、ゲスどもが。死んでやるとも!」と応じる老婦人。この不敵な女性には、かつて自分の召使だった連中とじっこんにする気など、毛頭なかった。」
 軽薄な王妃はこの革命を見続けたのだ。王妃は急激に老成した。シテ島で彼女が最後の時を過ごしたという牢を見たが、直前に訪れたヴェルサイユとの余りの格差に暗然とした。
 刑場にひかれる彼女の姿をダヴィドが描写している。とても38歳には見えない。彼女が「若く綺麗だった」と証言するものもないから、絵の通りの姿だったのだろう。
 1793年10月16日12時15分、マリー王妃は処刑された。

ウィキに掲載されているダヴィドの絵
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by rotarotajp | 2006-10-14 21:18 | バロック
さて、パリ観光するざます。

必見:京都大学電子図書館:フランス建築・地誌資料

★廃兵院

パリでワインを飲まずとも、パンを食わずとも、まず行かねばならんのは「廃兵院」(l'Hotel des Invalides)です。ルイ一四世がつくらせたバロックの気風充溢する勇壮な聖堂の地下にはナポレオンの棺が安置されております。後方の建物は戦争博物館になっておりまして、もう夢見心地の一日がここで費やせる事でありましょう。パリに来てここを見ないというのは、つまり醤油もワサビもつけないで寿司を食うのと同じ事です。
大革命の日、市民は廃兵院に収められた武器を略奪してバスティーユに向かったといわれとります。

★グーグルアース座標  48°51'17.94"N  2°18'45.12"E

ちなみに聖堂にはヴォーバン元帥の廟も置かれています。人気はいまひとつで見逃しがちですが、戦史ファンならぜひ一礼しておきませう。
■ 48°51'29.40"N  2°18'45.53"E
↑北側の公園のこの辺に長州戦争でかっぱらわれた青銅の砲が飾られています。砲尾に毛利の一品紋があるのでスグわかります。

★エッフェル塔
廃兵院から西にすこし景色をずらすとエッフェル塔です。座標は特に必要ないでしょう。なぜ皆あの鉄塔をありがたがるのかわかりません。ちょっと大き目の東京タワーだと思っとけば間違いありません。栄の電波塔ともたいして変わりません。遠くから眺めれば充分であります。

★凱旋門
エッフェル塔から真北に画面をずらして、放射状にのびる道の中央に鎮座ましますのが「凱旋門」です。これも一目瞭然なので座標はなし。「ジャッカルの日」でド・ゴール大統領が危うく暗殺されかかる場所ですな(笑 
もちろんナポレオン治世に計画されたものですが、彼が完成を見ることはありませんでした。ナポレオン時代のパリはニーチェの言葉そのまま「男は兵士となり戦う為にうまれ、女はその戦士らの気晴らしになる為うまれる」ような都であったそうでありまして、煌びやかで、かつ悲壮な兵士らが行進する様にパリは酔いしれたそうであります。ナポレオンはそうした所の演出が非常に上手で、第一帝政はルイ14世以来か、と思えるほど軍隊の見栄えが良い時代であります。「凱旋門」も、そうしたナポレオンの小道具の一つとなる予定でした。

★ノートルダム寺院とシテ島
パリのシンボルでしょうか。この寺院がのってる島は「シテ島」といいまして、パリの最も古い部分です。WIKIの記述によればこの「シテ島に住む者」がなまってシチズン(市民)になったのだとか。14世紀には「グラン・ポン」(でかい橋)と「プティ・ポン」(小さい橋)の二つしかこの島に繋がる橋はありませんでしたが、順次ふえて、今は十本も見えますな。島の西にあるサント・シャペルは聖王ルイ(13世紀の王様)がキリストの茨の冠を納める為に建てさせたもの。聖王自身の頭蓋骨も納められているそうです。美しいステンドグラスと天にのびるようなその造形で知られておりやす。必見です。

★グーグルアース座標 48°51'10.63"N  2°20'58.75"E
■サント・シャペル座標 48°51'19.29"N  2°20'42.10"E

★ルーブル宮・美術館
パリに来てここを見ない人はいないでありましょう。パリ観光の大目玉です。馬鹿馬鹿しいほど巨大な宮殿です。西の今は公園になっている部分がチュイルリー宮殿跡。ヴェルサイユ軍によるパリ・コミューン軍殲滅・虐殺の際に炎上して、二度と再建されなかった・・・のだと思います。ちなみにビスマルクのプロイセン軍(パリ北東サン・ドニに布陣)が静観する中で行われた虐殺は「血の一週間」と呼ばれておりまして、死者推定17000人。「パリは廃墟と化した」とまでいわれました。ビスマルクは愛国者集団を壊滅させる為、故意に武器没収を見送り、骨肉相食む殲滅戦を誘発・演出したといわれています。

★グーグルアース座標 48°51'39.71"N  2°20'9.08"E


蛇足:
韓国が打ち上げた偵察衛星はグーグルアースに及ばない(;´Д`)???
盧武鉉大統領「衛星打ち上げで地球征服した気分」というニュースが出たばかりですが・・
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by rotarotajp | 2006-09-27 19:02 | バロック

同好の某氏

 15世紀~18世紀前後の欧州の兵制が好きなどという変わり者は滅多におりませんで、同好の某氏を得たのは何とも心強いことであります。(AOEでせっかく同じクランになりながら最近はBF2に浮気してトント御無沙汰です・・・(´Д`υ))

 さて、国家に必要とされるのは常備軍か傭兵軍か、議論の分かれるところですが、特にマキャベリの時代で、というなら、フランスのような農業大国にして初めて数万の軍隊が持てるので、イタリアのような小邦分立の地域では空論であったでしょう。そも生半可な市民軍をつくったところで、戦争のプロである傭兵軍に立ち向かえたとは思えません。

 戦争一般に関し、これは以前にもチラっと触れましたが、文春新書「戦争学」松村:著が非常に蒙を啓かれる部分が多く、良書であります。読んだのは随分前ですが、一回紛失して購入しなおした経緯もあります。何がいいかというと「なぜ戦史を研究するのか?」という根本の部分から始めている点で、どちらかというと人間や政治の動きに関心が深かった拙者に、戦争もまた人間学の大事な一部、文化なのであると再認識させてくれました。著者は戦後日本から(意図的に)失われた「戦争」という知識を、極めて平易な言葉で初歩の初歩から解説してくれます。ニッポン語の本で、これだけ戦争全般を俯瞰した本は、他にないかもしれません。お値段もお徳用で確か1000円でお釣りが来てたと思います。クラウゼビッツ、ジョミニ、ヴォーバンの城塞論、孫子等々も面白いですが、まずこの解説本で脇をかためておくと、面白さが倍増します。

 追記:ただし、同書の18世紀に対する取り扱いには、拙者、不満があります。同書は18世紀を「昏睡する陸軍戦術」の時代と規定し、グスタフ王以後の戦術進歩が滞った世紀としていますが、異論がありやす(´・ω・`)ノ。これまた以前にも指摘しましたが、フェリペ2世の時代には傭兵に毛が生えた程度、四万の軍で覇権が握れました。ところが太陽王の時代にはそれが二十万にも、三十万にもなった。今日見られるような軍のマス・コントロール技術はこの時代に生まれたといってよいのだろうと思うのです。(軍服、階級、国家による保障制度等々)軍の巨人化は、そのままナポレオンの市民武装国家に結びつきます。グスタフ王当時の素朴な軍制では、おそらく不可能な事で、この17世紀後半から18世紀にかけての時代こそ、欧州とその他の地域(中東、アジア、極東)を決定的に隔てた「発明」の世紀であったろうとRotaは考えています。太陽王の将軍たち、オイゲン公子、そしてジョン・チャーチルらの活躍がなかったなら、大規模な国軍は生まれず、ナポレンも誕生せず、しこうしてクラウゼビッツなども生まれ得なかったでありましょう。
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by rotarotajp | 2006-08-09 18:43 | バロック

ゲイ談

 日本の文化は男性の同性愛抜きでは語れませぬ。能にしかり、武士道にしかり、日本画にしかりと、根っこの所に深く息づいています。で、日本が特別かと言うと決してそうではありませんで、イスラム文化圏でも清浄な関係として男同士の性愛がありましたし、朝鮮半島から大陸の諸王朝でもしかりです。時により浮き沈みはあっても、特筆に値するような弾圧は見当たらないようなのであります。色々と考えましたる結果、キリスト教圏の人の同性愛嫌いは、日本人には本当には理解できないのではないか、と思います。英語圏の人はよく悪口で「ゲイだ」「ホモだ」と言いますが、それがピンとこない。無論、なにも同性の性愛を歓迎するような雰囲気が日本にあるとも思いませんが、ゲイだといわれて傷つくような背景もない、といった所でありましょう。
 ヒトラーは突撃隊のレームが両刀使いであると聞かされると「未成年が彼の毒牙にかかったことはないのだろうね?」とうろたえて叫んだと言われます。レーム処分の口実には、実際、彼の同性愛嗜好が挙げられています。男色は許しがたく、未成年との男色行為はなお忌まわしい。日本の稚児さん遊びなど知ったら総統は何と言ったでしょうね(笑
 さて、そんなヒトラーはフリードリヒ大王の熱烈な心酔者であったといわれています。彼が設計した党本部「褐色の館」には、一番目立つ場所に、大きな老フリッツ(フ大王)の肖像が飾られていたとのことですが、しかし、歴史の皮肉でありましょうか、今日、その大王が一本筋の入った男色家であった事は動かせない事実とされております。
 大王は若かりし頃、ある騎兵少尉と駆け落ちをいたしました。間近に迫った縁談が嫌でたまらなかったのです。ところが逃げ切れず父王の追手に捕まりまして、恋人の少尉は反逆者として大王の見ている前で首を斬り落とされました。大王のスーパー・マキャベリスティックな性格はこうした暗い青年期の影響なのかもしれません。
 ちなみに、どうもRotaが大王を好きになれないのは、彼がヴォルテールについて語った言葉が残されているからです。ヴォルテールと大王が疎遠になった時、廷臣がその理由を尋ねると、大王は一言「果汁を絞りきったら皮は捨てるものだよ」と答えたといわれます。そのまんま真実ではないにしても、大王の治世をよくあらわした言葉だとは思います。
 男色家の大王、子は出来ず、王位を継いだのは彼の甥でありました。
 日本の男色の極地といえば、やはり葉隠でしょうか。葉隠の中で男色は「道」ですらあります。そして「煙となって後に知れ!」と、とことん忍ぶ恋。世阿弥の「秘すれば花、秘せねば花なるべからずとなり」にも通じるのでしょうか?恋愛は表に出して「成就」してしまうと格がさがるという考え方です。今の世の中だとストーカーとかいわれて敬遠されるでしょうがね。
 まあ、男色といって、概念はともかく、その実際は、平凡な異性愛者の目からすると少々異様であります。そうした実際を描写した本も数冊読みましたが、実に(異性愛者としては)げっそりする濃い内容でありました。(同性愛者から見れば異性愛の実際こそ気色悪いものなのでありましょうが・・・)日本文化の中に男色ありといえど、所詮、凡人にできる事は、それを少女漫画的範疇に留め、美化する以外にないのでしょう。と、まあ、本日はどうしたわけでか、ゲイ談でありました。
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by rotarotajp | 2006-06-27 13:15 | バロック

トランプ

さて、本日はトランプについて調べる事があったので、その薀蓄をひとくさり。
トランプの原型が欧州に現れたのは14世紀の事らしい。その絵柄が誰それをイメージしたものだとか、ジョーカーとはなんぞや、という議論はひとまず置いておき、スペード、ハート、ダイヤ、クラブとは?という基本の所から。これがまた、色々と調べてみたつもりだけど、結局わからない。イタリア、フランス、イギリスへと伝わっていく過程で固定された図柄である事は間違いないようであります。まずスペード。英語でSpadeとはすなわち「鋤」のことであって、つまり農具です。そりゃ人にとって重要なものでもありましょうが、四大図柄に選ばれるほどではありますまい。調べてみれば、これはイタリア語のSpadaのことであって「剣」を意味するのだそうです。この辺は結構知っている人も多い事でしょう。さて、クラブ(Club)ですが、これは棍棒の意ではなく、もうちょっと洗練されたもの、すなわちイタリア語でいうBastone(職杖)が転化したものだという説があります。これは知りませんでした。ハートは一番異説が少なく、まず間違いなく心臓の意でありましょう。中世、心臓は人の魂が宿る場所とされておりましたから、まあ、生命を顕すものと思ってよいようです。(魂の方を強調して宗教という説もあり、転化して僧侶とするむきもある。階級になぞらえる説ではスペードが王侯騎士、ハートが僧侶、クラブが農民でダイヤが商人だが、元々は多々あったはずの図形から段々に収斂されていった過程を考えるなら、トランプの形が確定されてしばらくたってからのコジツケに思われる)心臓がただの「器官」となってしまうのはデカルト以後です。もっとも心臓から「魂の座」が失われて以後は「心喪失が早まった」とされ、宗教心なども萎んでいくわけで、人にとって良いことだったのかどうかは微妙なトコロです。で、最後にくるのがダイヤなわけです。これが一番わからない。文字の由来は四面体を表す言葉だそうですが、四大シンボルになぜ意味のない「図形」が入るのか??現在ではダイヤモンドなどからの連想で「富」と翻訳しますが、あるいは過去においてもそうだったのでしょうか?(その他、各スーツ・シンボルの意味については、出所のはっきりしない説が種々様々あります。RotaがとったのはRotaが一番妥当だと思った説、すなわちイタリア→イギリスに翻訳されていった言葉・図形の原型から類推するもの)ま、昔の人が適当につけたシンボルですからね。意味なんか全部あとからコジつけたものかもしれない。と、だんだん薀蓄が薀蓄でなくなってきましたので、この辺で〆。ああ、この世はわからないことだらけだ(;´Д`)
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by rotarotajp | 2006-06-12 14:53 | バロック