日々是勉学


by rotarotajp
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<   2008年 11月 ( 14 )   > この月の画像一覧

 よく目にしますがJoy Comes in the Morningというのは英語の言い回しなのですかね?
「歓びは訪れる。夜明けと共に」ってな意味でしょうか。朝に歓びがないとしたら、たいそう生きる意味が失われると思います。

我が名は忌み嫌われる
空暑き夏の日の
死肉の腐臭以上に
(古代エジプトの詩の一部)

 こんなことを考えながら目覚めるとしたら、これはどうもツマラナイ。いわば拷問です。できれば毎朝「お前は本当に美しい」(ファウスト)と感動しながら目覚めたい。

 朝、朝、朝。朝といえば「鶏」だろうと南方熊楠氏の「十二支考」を手に取りました。
 やはりこの人は考えが斜め上を行っています。
 鶏から鶏卵、鶏卵から金玉に噺がいく。地方によって鶏卵は睾丸の象徴なんだそうです。
 すぐ下にいくのがこの人の特徴。

 こんな痛い噺が紹介されています。
 昔、ウェールズのある城主が慰みに一囚人の目玉と睾丸を刳り貫いた。囚人はそのまま生かされ続け、城内に放たれていた。一念とは恐ろしいもの、囚人はいつか城の構造を憶えてしまって、自由に歩けるようになる。
 ある日、囚人は城主の一人息子を引っ掴み、高い塔の天辺に攀じ登る。
 城主には一人息子です。
 何が望みだときくと、城主が自分で自分の睾丸を刳り貫けば息子は許してやるという。
 相手はなんといっても盲目ですから、城主は誤魔化すに限ると考え、家来たちに演技をさせ、苦悶の叫びを上げて「刳り貫いたぞ!」と叫びました。
 囚人問うて曰く「何処が痛む?」「腰が痛む」「嘘をつくな!」
 もう一度同じ事を繰り返し、次は「心臓が痛む」とやりますが、またしても嘘と見抜かれる。囚人は今にも飛び降りてしまいそうです。愛する一人息子の命が懸かっています。ついに城主は本当に自分の睾丸を刳り貫いてしまった。
「どこが痛む?」「歯が痛む!」「おお、それでこそ!」
 囚人は歓喜の声をあげました。嘘かマコトか、この御噺によりますと、睾丸を刳り貫くと歯が痛むんだそうであります。
 囚人は城主の息子を抱えたまま「もうおまえに息子はつくれまい、おまえの人生に楽しみはないぞ」と一声叫び、城主の子を抱いたまま塔から飛び降りました。

 いやぁ、怖いですねぇ。
 朝の話からとんだ所に飛ばされて行き暮れてしまいます。

 続いてダンセイニを手にとってみました。この人ならきれいな朝の詩を一つぐらい書いているだろうと思ったからです。開いた最初のページがこれ。

 朽ち果てた者どもの墓からうねうねと這い出た蛆蟲が、天使とばったり顔をあわせた。
 彼らは二人して、王たちとその王国と、若者たちと乙女たちと、それに人々の都市とを、じっと見つめた。それから、椅子にうずくまって動こうとしない老人に眼をうつし、草原で歌う子供たちの歌に聞き耳を立てた。また、遠い戦場や兵士や城砦にかこまれた都市や、智慧や悪業や、王たちの虚栄や、陽光が知っている全ての土地の人民を、見つめた。そして蛆蟲は、天使に向かってこういった。
「見てくれ、ぼくの餌になるんだ」

(ダンセイニ短編集「妖精族のむすめ」:ちくま文庫)

 あははは、朝なんて何の関係もないけど、天使と蛆虫の対比がきれいだったので、ここから先の数編も読んでしまいました。
 荒俣氏の訳でとってもきれいな本なのでお薦めですぞ。

 ぜんぜん朝じゃないですね。こんだけテーマが脱線するのも珍しい・・・
 朝・・・は次回に続きますデス
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by rotarotajp | 2008-11-29 22:09 | 私事
 ・・・の私見デス。

 日本人の個人金融資産は1400兆円(今はえらいこと目減りしてるかも・・・)といわれます。

 その半分以上の54%を60歳以上の高齢者が、50歳代の人が23%を所有しているそうです。
 40歳代の人が12%。つまり日経平均が4万円弱だったバブル以前の人、俗に言う中高年世代と高齢者、超高齢者世代で、日本の金融資産の実に90%近くを独占していることになります。30歳代以下の人の全体に占める金融資産保有率は9.4%に過ぎません。

 人口比では総人口の20%が65歳以上です。5~6年後には25%が65歳以上。
 2005年の中位年齢は43歳だそうですから、現在の基準では43歳は決してリード世代ではなく、真ん中以下の若手であります。

 要するに、日本の消費&景気は主に高齢者の動向に懸かっています。

 高齢者(この言葉はどうも気に入らないのです)の第一の関心事は健康、そして年金でありましょう。
 ここ最近の医療制度不信、そして年金不信は、そのまま日本の内需に強い打撃を与えている可能性があるように思います。特にアンケート結果などを見た記憶はありませんが、もしかすると今度の金融危機なんかより、よほど日本経済の足腰を弱くしているのではないでしょうか?

 政治の無策が経済に余分な打撃を与えています。
 今度の総理の発言もそうです。
 挙国一致が必要なこの非常時に、日本の主力層を怒らせてどうする・・・汗・・・
 いよいよ経済対策一つ実行できない弱体化した政府になるだけじゃないですか。

 イギリスなぞは日本の消費税に当たる物品税をドカっと刈り込みました。将来に禍根を残すでしょうが、当座の危機を救う勇敢な手だと思います。ユーロはこの短期間に次々と対策を打ち出し、最大の負け組とまでいわれた欧州を瀬戸際で救っています。

 日本じゃ商品券一つまだ実行できていない。消費税の減税なぞ夢のまた夢。なんと危機の最中に首相が消費税増税を明言しています。
 IMFに大金を投げ込みながら新聞の一面にすら載らず、プーチンさんが目腐れ金を入れたときの方が枠が大きかったりする。宣伝も下手。

 一億人の日本人の中から選びに選び抜かれた優秀な人材が舵をとっているはずなのに・・・
 なぜこうなのでしょう。欧米人の方が優れた能力を持っているということなのでしょうか?「プロメテウスの額から輝く光」に導かれぬ、文化保持者にすぎないからでしょうか?それともなにか制度に問題があるのでしょうか?

 最近の日経平均の底堅さは、日本の年金資金が入っているからではないかという噂があったそうです。
 ところが、実際にアンケートをとってみると、日本の実務者の間ではかえって日本株を手放し、外国に資金を逃がす姿勢が目立っていたのだとか。
 つまり日本に入ってきていたのは、またしても外国のお金(まあ外国のファンドに運用させてる日本人のお金、もあるので一概には言えないのでしょうが・・・)だったというオチ。

 一時、日経平均のおおよそ6割は海外投資家の金だといわれていました。
 日本人は大変な犠牲を払って銀行を支え、雇用を犠牲にしてまで大企業を支えてきたわけですが、その大企業の半分以上が日本人のものではなかった。利益は外国人(上記に準じますが・・・)が得ていた。その日本人に支えられながら、大企業は多国籍化し、雇用を海外に流出させていたのです。

 銀行もひどい。銀行にする預金は、つまり投資です。銀行は預けられた金を運用しているのです。リスクがある。預金者の預金は全額保証されるわけではない。当然預金者はリスクにみあったリターン、つまり運用の利を受け取る資格があるはずなのですが、それもずっとゼロ同然。しかも国内では貸し渋りに貸しはがし。


 荀子に「肉腐出蟲」という言葉があります。肉が腐ると虫がわく。中央が腐れていると、次々と禍が起こるの意です。
「政事乱、則家宰之罪也」もオマケでつけておきます(笑

 慰めにもう一つ。
「遇不遇者時也」
 これは孔子の言葉を荀子が紹介したもの。
 人の遇不遇はすなわち時の運である。時を得て恵まれたる時に驕らず、不遇の時に悲観せぬように生きよ。の意です。

 最後になりますが・・・これは私見の中の私見で、ロタがそう信じている理由を述べ始めるとえらいこと長くなるので省くのですが・・・日本は哲学・文学・芸術・宗教を軽視し過ぎているように思います。これらのものが真の創造を生むのだとロタは思っています。
 バブル以前、日本人の欧米でのステレオ・タイプは背広にカメラに黒メガネです。これは二つのことを象徴しています。ひとつは日本人が仕事で海外に行っていたということ。もう一つ、その仕事というのは、つまりカメラで欧米のものをパクることだったということ。
 当時は冷戦中でしたし、知的所有権に関する考え方も曖昧だったので、それが不思議ではなかったのです。
 日本の産業が、結局は模倣から始まっているのだとしたら、その株価に限度があるのは当然のことかもしれません。・・・よくよく考え出すと近い将来に現在の反動で超インフレ&バブルになりそうな気もしないではないですが・・・・はっはっは・・・結局は何もわからないとうことで・・・・・
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by rotarotajp | 2008-11-27 20:31 | 時事

糞尿記

 昔、糞尿は大切な肥料でした。
 江戸は都会で、人の食べるものが贅沢でしたから、素晴らしい下肥が出来ます。だから江戸には近郊の汲取り屋さんが集まりました。当時、特に有名だったのが葛西の商人だったといわれます。彼らは江戸城の汲取りを任されていました。無論、全体の中では御城のモノなぞごく僅かだったでしょうが、あるいは「御城のものが混じっている」というので付加価値がついたのかもしれません。
 葛西が一番有名でしたので、糞尿を運び出す屎尿船を江戸では葛西船と呼びました。
 農作の必需品ですから、この取引は莫大な富をもたらしましたそうです。

 どの本で読んだか忘れましたが、江戸時代、女性の団体が旅行に出て、ある場所でどうしても厠に行きたくなった。
 近所のお百姓さんに「来年も来るので、ぜひ厠をつくっておいてくれ。費用はこちらが出すから」とお願いしたら「一人一文も出してもらえば充分」という返事でした。安過ぎはしないかと心配しましたが、翌年行ってみると、清潔で立派な厠がつくられていたので、ひどく感心したとのこと。
 これなぞは、余分の下肥が手に入るのですから、お百姓さんにとっては渡りに船の話だったのかもしれません。
 江戸近郊の下肥の値段は物価と共に年々上がっていきまして、お百姓さんには死活問題となった時もあったのだそうです。何かの噺に「よそでタレるならうちでタレろ」と子供を叱るオヤジのセリフがありますが、その切実さが窺われます。

 さて、所変わりまして・・・欧州の中世のお城を観察していると、塔の外側に突き出た小部屋の床に小さな穴が開いているのを発見してニヤリとすることがあります。これがトイレなのであります。当時の人は催してきますと、その小部屋の穴の上に座り、塔の下にモノをヒネリ落としたわけです。落としたモノはどうしたのだろうか?と首を傾げるわけですが、上手い具合に御堀や河の上に出ている場合はともかくとして、そのまま塔の下に堆積していたのかもしれません。
 今も古い街を歩くと、道の中央がV字になっていることがあります。
 これはそこに糞尿を流したからです。朝になるとバケツに溜まったものを道にぶちまける。すると、それがゆっくりと道の中央に集まって、ズズズっと流れていくわけです。いわゆる歩道の起源は、糞尿を踏まずに歩く為のものだったといいますから、大道はさながら汚物の河でありました。
 こうした状態は19世紀頃までさほど変わらなかったといいます。

 ヴェルサイユ宮殿にトイレがなかったというのは有名な話です。紳士淑女諸氏は催してくると庭に出ていたしました。
 跳ね返りのオツリで汚れるので、女性のスカートは釣鐘状のふくらみを持つようになりました。靴が汚れてはこれも興ざめなので、高いヒールが工夫されます。
 臭消しに香水が多用されました。
 以前にも書いたかもしれませんが、同じ太陽王の時代、ある貴族の女性が反逆罪に連座して塔の牢に押し込められました。この王の時代には貴族の反逆がほとんど皆無だったので、特に記録が残っているのです。さて、女性が牢に入ってみると、床が不思議な物体で覆われています。最初は暖かいからと有難がっていたのですが、しばらくしてそれが堆積した糞尿の絨毯であると気づきました。何せ出口のない塔の一室ですから、前の囚人が始末に困って床に塗りつけていたのです。湿気のない所だったのでうまいぐあいに固まっていたのでしょうね。掃除婦が気持ち悪がって洗い落とそうと水を入れた途端、猛烈な臭気が出て、牢から出られない貴族の女性は寝込んでしまったそうです。(ゆるやかな監禁だったので、本人以外のお手伝いさんなどは出入りが自由でした)

 こうした例をみていると、そうする必要があり、かつ有用でもあったからでしょう。江戸の汚物処理システムは大変に複雑・大規模なものだったように思います。
 資料がないので詳しくは書けませんが、清国にもやはり大きな下肥取引のシステムがあったといいますから、下肥を大切にするというのは、農耕を主とするアジアの文化の一つなのかもしれません。

 また周知のことで蛇足ではありますが、下肥のシステム全般、過去には全て人力をもってしか出来なかった作業なので、時と所によっては、身分制度にまつわる歴史・政治的側面が関係します。
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by rotarotajp | 2008-11-24 13:05 | 私事

覚書


~その昔ひどいことをした退役老プロシア軽騎兵を偶然探し当て、占領軍の一員として若いフランス兵がやって来て~

「おまえがぼくにしたひどいしうちは僕が許してやろう。おまえがぼくの両親をひどいめにあわせ貧乏人にしたことは、両親が許してくださるだろう。そしておまえによって井戸に投げ込まれ、二度とそこから出てこなかった妹のことは、神様がお許しくださるように」
 こう言うと彼は軽騎兵にいささかの危害を加えることもなく、立ち去った。

(ドイツ炉辺噺集:カレンダーゲシヒテン:ヘーベル)


Francisco de Goya
Los desastres de la guerra
(1810-1815)
http://www.all-art.org/neoclasscism/goya_war1.html


"Forgotten is forgiven."
F. Scott Fitzgerald


「あの三色旗を掲げたまへ、~諸君がウルムで、アウステルリッツで、イエナで、アイラウで、フリートラントで、トゥデラで、エックミュールで、エスリングで、ヴァグラムで、スモレンスクで、モスクワ河で、リエッツェンで、ヴェルシェンで、モンミラーユで手にした、あの鷲の軍旗を再び掲げたまへ。~兵よ、来たって諸君の司令官の前に整列したまへ!」

ナポレオン:兵に告ぐ:エルバ島からの帰還:ジュアン湾1915年3月1日
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by rotarotajp | 2008-11-19 21:25 | 私事

タコ

「このタコ!」の「タコ」は何故悪口なのか?
 なぜ「タコ」であってネズミやネコやカラス、サンマやクラゲではないのか?

「知って合点 江戸言葉」(文春新書)の著者によると、それはこのような理由なのです。

 江戸時代、江戸の人口の半分は武士でありました。
 武士もピンキリ、上から下まであります。
 中でも将軍さまに「御目通り」が許されるような身分の武士はほんの一握り、
 ほとんどは将軍さまになぞ一生御目にかかることのない「御目見え以下」です。左様。 「お目見え、イカ」なのです。将軍家の家来でも、直参旗本は御目見え以上、御家人より下は御目見え以下なのでありました。

 常に一定した人数があったわけではないですが、一説によると旗本の総数がおおよそ五千人、御家人の総数がおおよそ二万人だったのだそうです。それなのに御目見え以上の石高合計は約二六〇万石、一方、御目見え以下のそれの合計は五六万石しかありませんでした。御目見え以上の家は「以下」に比べるとまったくの御殿さまだったのです。

 そんなわけで御目見え「以上」と「以下」の子供らは大変に仲が悪い。
 いってみれば階級闘争のようなものです。
 山の手の子供が下町の子を、下町の子が山の手の子を嫌うのと同じ構図ですね。

 両者が喧嘩をすると、こんな風になります。

「なんでこんなことするんだ!」
「生意気だからだ。もっと慎め!」
「なんで生意気なんだ!」
「おまえなんか御目見えイカの家柄じゃないか。イカなんだぞ、イカめ!」
「そうだ、そうだ!イカ、イカ!」
「なにを!おれがイカなら、イカなら・・・おまえは・・・おまえらはタコじゃないか!このタコ!」
「イカっ!」
「黙れタコ!」

・・・・そんなわけで・・・・
「タコ!」は江戸時代に起源を持つ、立派な悪口なのであります。

でも「イカ!」の方は廃れてしまってますね。
少々意地悪に感じるからでしょうか。
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by rotarotajp | 2008-11-17 21:15 | 私事

髑髏杯

 フランスは一筋縄ではいかない国だと思います。
 しかし日本では、どうも「ベルサイユの薔薇」や「宝塚歌劇団」の軽やかな、ロココのイメージが先行していて、本質が見失われているような気がします。
 気取ったお店でワケのワカランおフランス語を使っているのを見ると、実に違和感があります。

 ぼくがイメージするフランスは、壁に人獣の脂が粘つく、暗い石室の国です。
 肉食なのですから、それが当たり前でしょう。

 青髭ジル・ド・レが少年を解体して慰みものにしたように、巨大な刃が落ちてくるギロチンで幾多の首が切落とされたように、そして最高のご馳走が、焼いた小鳥を頭からするりと果物のように食べてしまう料理であったりするように(美味礼賛参照)、それは大変に野生的なもので、もっぱら植物をモソモソと食べてきた日本人とはだいぶ違います。

 あまりにイメージが違うので、旅行にいって精神に変調をきたす人もいるらしいとは、確か以前書いたおぼえがあります。肉屋に行って映画「デリカテッセン」そのままの風景を見ると、神仏の国の人は、やはり少しぞっとするようです。

 このようにフィクションが実際の姿をゆがめてしまうというのは、よくあることだと思います。
 欧米では歴史モノの映画を見た学生から「映画で見たのと違う」と質問されて困る歴史の先生もいらっしゃるのだとか。(たしか文芸春秋かなんかのコラム)
 CGを多用したリアルな画面や、ドキュメンタリー調の絵造りが、つい本当にあったことかと思わせてしまうのでしょうネ。「プライベート・ライアン」なんて弩迫力でしたもの。

 基本的に何処の国も専門以外で教える歴史は自国中心主義的で、わりといいかげんなもの。それが実際にスクリーンにうつしだされると、そのまんま納得してしまうのかもしれません。まあ、まさか「300」を観て昔のスパルタはペルシャ帝国は・・・と語る人もいないでしょうが。

 西山義公といえば、あの水戸黄門さまのことデスが・・・
 「甲子夜話」に「黄門様の髑髏杯」に関する記述があります。(東洋文庫版を参照しました)
 黄門さま、ある時、卑僕の一人を処刑させました。大変忠義の心篤い者でしたが、西山公の言いつけにそむいたので仕方なく殺させたのです。
 で、黄門様、その者の死骸をいったん埋葬させ、白骨になってから掘り出し、頭蓋骨に金泥を塗って一升の酒が入る杯に仕立てさせました。その髑髏杯を晩年愛用されたのだそうです。
「忠義の心篤い者であったから、余の傍にいられてさぞ満足であろう」という、いかにも封建領主らしい勝手な言い分。髑髏の表には公の手擦れの跡が残り、琥珀色に輝いていたのだそうですが、今に残っているとは聞きませんね。
 時代劇「水戸黄門」を観ている人が聞いたら一歩ひきそうなお話。
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by rotarotajp | 2008-11-17 21:01 | 私事

趨勢

 世界一のお金持ちといわれるバフェット氏。今度の金融危機で保有する株の価値が、11月4日付で1兆3000億円あまり下がったのだそうです。でも残り株資産4兆7000億以上。この時で22%の減だそうです。
 お金持ちですなぁ。
 お金持ちといえば・・・米大手企業500社のCEOの2007年の平均報酬は13億6000万円前後。
 金融危機の火付け役となったサブプライム問題。実はようやく家を購入した人々が、故意に借金を踏み倒すという例は少ないのだそうです。
 住む場所を人質にとられているのですから、力の限り払い続けようとするのは当然です。そもそも彼らは金銭上は弱者なのですから、法律をかさにきる金貸しに抵抗なぞ出来ません。
 金融の無理を承知で莫大な収入を得ていた連中と、なるほど信用を超える借金をしてしまったものの、住む家をとられ、路上に彷徨う人々の、はたしてどちらが悪質なのかといえば、誰であっても「そりゃネクタイ族の方さ」と答えるでしょう。
 ところが不思議なことに警棒で追い立てられるのは常に非ネクタイ族、白いワイシャツを着たスマートな連中は中世の城砦のような豪邸に住んで、警察のお世話にもならず、我関せずを貫いています。
 いやいや、そんな所に隠れていればまだ可愛いほうで、政府の要職に就いている方さえいる。

 これは社会のありようが平常に戻ってきた。
 つまり第一次世界大戦以前の、少数が万能の権力を持つ時代に回帰してきたのかも、という感想を持ちました。
 今はまだ初期の世代ですが、何か未曾有の大災害でもない限り、やがて世襲化が進み、職種なども家々で固定されていくのではないでしょうか。
 これはお金のことだけではありません。
 両親が読書を軽んじる家庭の子供は、おそらく読書を軽んじるでしょう。その子供もやはり読書の価値を認めなければ、やがて数世代を経てまったく読書とは縁のない一族のラインが出来上がるかもしれません。
 この例は単に「読書」に過ぎませんが、それが広範囲の事柄に及ぶと、そこに「階級」が生まれます。
 人類史を俯瞰すれば、そのようなシステムの時代の方がずっと長かったのですから、人間社会の当然のありようなのかもしれません。
 現在、最も有名な例ではイギリスがあります。長く歴史の断絶がない彼の国では、その人のアクセントや動作だけで出身階級出身地域が見分けられるといいます。実際に見掛けも違います。クラスを飛び越えて活躍するには大変な努力(矯正)が必要なのだと聞きました。

 さて、脱線を修正してバフェット氏ですが・・・現在、鋭意石油関連の株を仕入れておられる最中なのだとか。(現在といっても全てがスゴイ速さで動いているので、もう昔のニュースかもです・・・)石油価格は暴落中なのですが、長い目で見れば枯渇にともなって賑わってくるとの判断なのでしょう。
 バフェット氏は今回の金融危機をEconomic Pearl Harborと表現されたそうです。この言葉を選んだ事自体、将来のアメリカ経済の反攻と勝利を確信しておられる証左なのかもしれません。「バフェット氏は早く買いすぎた」と、買いに姿勢を転じた同氏をインチキ占い師と揶揄する記事もあるそうですが、はて・・


 経済関連の記事を横目で飛ばし読みしていたら、もしかしたら近々に、2度目のIMFがお隣の国にやってくるのでは・・・という噂が根強いようです。あくまで噂で、韓国政府は大否定していますが・・・やって来ないなら来ないでそれも怖いことになるそうな・・・・で・・・日本では銀行によってはウォンが売り切れ状態、などと聞きます・・・下手したらハイパーインフレで紙屑になる貨幣をよく買い込むなぁ・・・と思うのですが・・・・リスクが大きければ儲けも大きいの道理。勝負に出ている人が多いということでしょうか。アメリカでさえデフォルトに陥るのではないかといわれる昨今、そのアメリカのドルよりも下げているウォンです。確かに戻したら大きいですし、アメリカとのスワップ締結後だいぶ戻した時期もありました。もっともすぐまた沈んで現在ドル1400ウォン前後でしたっけ?・・・口の悪い人は韓国経済はすでにゾンビ状態(死人が歩いている)と・・・・
 頑張りと根性でググっと持ち直すかなぁ・・・・
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by rotarotajp | 2008-11-16 22:09 | 時事

藪医者

 藪医者という言葉は、南北朝の頃からあったそうです。
 古い言葉なんですね。

 藪医者の語源、これは以前にも書いたかもしれませんが、実に色々とございます。

 まず裏の藪の草を引っこ抜いて煎じて飲ませるような医者という説。草を煎じて飲ませても治るはずがない。(いや、プラシーボ効果か!)毒草ならかえって害があるでしょう。

 次が風にしたがって動くお医者という説、風が吹くと藪は風に従ってガサガサと動きます。風邪が大流行してお医者が足りなくなると「まあ、あの先生でも風邪ぐらいでは滅多に殺すまい」という事で繁盛する。また「少しの風(風邪)で大騒ぎ」するから、という説もあります。

「藪医者に富貴さずける風(風邪)の神」なんて川柳は江戸時代のもの。

 土手医者はその藪医者の下。藪より下なのだから土手医者にかかると、これはもう命が危ない。筍(タケノコ)医者。これから大きくなって、立派な藪の一部になろうというお医者。タケノコは育つのが早いですし、いったん育って竹になってしまうとナカナカ引っこ抜くのも大変なので、まあ、碌なことはありません。
 雀医者というのもあります。雀は藪に向かって飛んでいく。つまり藪へ、藪へと腕が落ちていくお医者さん。

 語学的に考察すれば「やぶ」には「似て非なる」の意があるそうで、この説を採ると藪医者は似非医者ということになります。
 野巫で「やぶ」。
 これは読んで字のごとく祈祷師的なお医者のことでしょう。
 雑草の煎薬と変わりません。
 有名な明恵という真言密教のお坊さんは「光明真言」という有難い言葉を唱えながら刻んだ葉っぱを「煎じて飲めば万病に効く」と宣伝して大儲けをしたそうです。葉っぱは何でも良い。雑草でもよい。これなぞは雑草と祈祷師の合体ですから、実に始末が悪い。

 日本の古い医学は中国から伝わったもので、今は「西洋医学」と対比させる意味で「漢方」といいます。西洋医学は、その汎人類的な合理性、客観性からでしょうか、近年大変に出世いたしまして、これを「世界医学」などと呼ぶのだそうです。
 西洋医学の発祥は古代ギリシャ。
 世界医学のお医者は「ヒポクラテスの誓い」という、なかなか深遠な誓いをたてます。(今はこれを少し改定してジュネーブ宣言の文句を使用するそうな)調べていただければわかりますが、これは藪なお医者が約束すると口が曲がってしまいそうな高邁な誓いです。

「人類への貢献に自らの人生を捧げることを厳粛に誓う」
「患者の健康を、私の第一の関心事項とする」

 まあ、神様の業ですね。
 だからお医者さんは「先生」と呼ばれて尊敬されます。

 幸いにもギリシャの神さまは遠い東洋の小国までは目が届かないようでありまして、誓いを破ったからといって「ズガガーン」っと天の稲妻にあてられて焼け死んだお医者、なんてのはあまり聞きません。お医者が一人もいなくなってしまっては大変ですから、結構なことです。

 さて、ところで藪医者といっても、本人だけの責任とは限らないのであります。医者は結果ではかられる職業ですから、結果が悪ければ、いかに善意の人でもそれまでのことですが、出来れば良医として人に尽くしたい、そういう仏性の人も多いはずなのです。

 七転八倒している時の医者の暖かい手、心の篭った言葉、適切な処置、というのは、患者にとっては奇跡なのでありまして、こうした時にはどんなに藪でも藪ではない。

 杉田玄白らがターヘル・アナトミアを参考に刑死人の腑分けに立ち会った際「和漢千載の諸説」はみな間違いであった、と驚愕しています。
 五臓六腑説はおかしいと、ある程度の医者は皆そう思っていたでしょう。しかし、そうした見識を持つ医者が、あえて権威を投げ打ち、常識に挑戦するだけの社会的素地がなかった。また死体を扱うについては厳しい身分制度があり、情報が共有されなかった。
 そうした拘束のない海外からの情報、つまり蘭学が、突然に日本の医学を粉微塵に打ち砕き、藪医者の数を劇的に減らしたのでした。

 周産期医療の問題で「医者は何をやっとる」と目をいからせるむきがありますが、どうもシロウト目には、責任の大半は医者の外にあるように思われます。
 お産は人生の一大事、女性にとっては最も危険な一時期にあたるわけですが、日本はこの辺の数字は大変によいそうです。関係するお医者の過重労働に支えられての好成績と聞いています。
 それが限界に達したところで事件が起きた。藪の問題というよりは社会の問題でありましょう。周産期死亡率、地域によっては微増の傾向があるそうです。このまま政府の少子化対策などが万が一の間違いで功を奏し、唐突に出生率が改善などしたらエライことになるのではなかろうかと、思ったりもするのですが、どうなのでありましょうや・・・。
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by rotarotajp | 2008-11-09 09:40 | 時事

落語

 桂枝雀氏の落語はすごいですなぁ。
 それも最後期のが一番いいです。
 半端な美大生がスケッチの端っこを必死で塗っているような、そんな拘りが見えない。苦労の跡が見えないとでもいうのでしょうか。いいなぁ。
 他の方の落語には、どこか苦労が偲ばれるような、ぐっとくる悲愴さがあるものなのですが、枝雀氏のにはそれがありません。いや、ないというのではないのですが、それがすごくあっさりしています。
 経歴などを見ると、とてもじゃないが努力の塊のような修行をなさっているようなのですがネ。
 顔が、身体が、全部が丸ごと落語・・・なのかどうか・・・つまり桂枝雀。しかもどっか匂うように上品なんだ・・・。
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by rotarotajp | 2008-11-07 19:27 | 私事

ぬっ

http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20081106AT2M0600K06112008.html
GM七日午前に・・ってもうすぐかな・・・経営の変更??
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by rotarotajp | 2008-11-07 00:51 | 時事