日々是勉学


by rotarotajp
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朝鮮の役・文禄慶長の役

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実はRotaが密かに資料集めに興じているのが、秀吉のいわゆる「三国征伐」であります。この大戦争はもっともっと注目されるべきだと思っているのですが、戦前、日本の歴史上の雄図と喧伝されていただけに、戦後の今となっては誰もあまり触れたがらない。それどころかGHQや戦後民主主義の指導の中で、秀吉はなんと誇大妄想狂という事にされてしまう。前後七年、30万の将兵を動員し、そのほとんどが火縄銃で武装している。30万は軍事要員ですから、後方の諸々の支援要員まで含めれば、いったいどれほどの人間がこの「征伐」に従事したのやら。当時の世界のどこにも、これほど巨大な軍隊を動かせる国はありませんでした。欧州に君臨したフェリペ2世にしたところで四万の兵力を動かしたに過ぎないのです。
朝鮮は北方には守備隊がおりましたが、南は手薄でした。もとより朝鮮は文官を武官の上位に置き、重要案件は明にお伺いをたてねば決定できず、国防もただ明頼り。今の日本にまったく良く似ている国でした。また朝鮮の宮廷には「万里の蒼海(対馬海峡)を越えて」日本が軍を進めるのは不可能だとする思い込みもありました。秀吉は朝鮮の使者に日本軍の領土通行を許すよう命じますが、朝鮮は当然これを拒否。戦争がはじまります。日本は国力の絶頂にあり、狭い島国にはおさまらず、膨張をはじめたのです。これはこの時代においては世界的な現象でもあります。帝国主義のはじまり。技術の革命がそれを促したのです。日本には南蛮との貿易によって「世界」の知識もありました。欧州はすでに「世界分割」の取り決めさえしている。九州では節操のない大名の手で日本人が奴隷として欧州人に売られ、一部は遠くアメリカ大陸にまで送られていました。(出典ド忘:誰か知ってたら教えて(;つД`))
朝鮮に派遣された明軍は、火縄で武装した日本軍相手に苦戦をします。戦役の後半、明国は北の騎馬部隊では足りず、南の砲兵部隊まで呼び寄せざるを得ませんでした。無論、その為の出費は膨大でありました。明帝国崩壊の遠因となったといわれています。
明人は特段、朝鮮人の苦難などには関心がありませんでした。当時の朝鮮の大臣が「日本軍よりも明軍の方が始末におえない」と嘆いています。現代の日本も、これをよくよくの手本としてもっと考えるべきだと思います。国防は自国民の手によってしか達成できません。実際、日本軍を最後に撃退したのは朝鮮軍でした。最初のうちこそ、朝鮮の民衆は日本軍の侵略を圧制からの解放の機会ととらえて、朝鮮国内を乱しますが、優秀な儒教者らが野に下り、民衆を教化して義勇軍の組織を始めると、この国特有の粘り強い、勇敢な抵抗が始まります。海軍には傑出した英雄が出て、日本の軍船を焼き払いました。日本軍は後退を余儀なくされ、結局は秀吉の死去によって日本の大陸進出は挫折します。
もしこの自然の障壁(海)を越えた日本の拡大が成功しておれば、その後の日本とアジアの歴史は大きく変わっていたはずです。どう変わっていたかは・・・IFの領域ですが・・・。

参考資料:否定的な情報は意識しなくても一杯入ってきますので・・・・まあ、解毒剤として岩波・山路愛山著の「豊臣秀吉」などは最初に読むものとしてお薦め。東洋文庫の「懲ヒ録」はこの戦役に興味があるなら必読。朝鮮王朝の青史も日本語で抄録版が出ているが、残念ながらやや思想的かなぁ・・・。どこかに完訳版はないものか・・・船の構造やら、当時の具体的な軍備については、別に良書が多くある。清正記等の雑記類は「群書類従」をあたると吉。
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by rotarotajp | 2005-09-13 15:49 | バロック