日々是勉学


by rotarotajp
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Pietro Micca

ピエトロ・ミッカと聞けば軍事に詳しい人はスグにピンとくるかもしれません。なにせイタリア王国軍には、やたらと「ピエトロ・ミッカ」が多い。潜水艦の型名であったり、巡洋艦のそれであったり、部隊名であったりする。様々です。で、このピエトロ・ミッカというのは何者の名前かというと、イタリア版爆弾三勇士的な御方。
スペイン継承戦争中の天王山と目されるトリノ包囲戦は1706年5月に始まりました。la Feuillarde率いるフランス・スペイン連合軍はおよそ40000、対するトリノ防衛軍はGraf将軍に率いられた7000。帝国が応援に出せる一番手近い部隊はオイゲン公子の軍ですが、これはヴァンドーム公に率いられたフランスの別動軍団に足止めされている。オルレアン公フィリップ率いる新手がイタリアに南下したとの報もあり、トリノ陥落は時間の問題と思われていました。
ところが、トリノ城内の7000は意外にシブトい。故郷が戦場となると、嘘のように強くなるのがイタリアの軍隊の特徴です。トルコのウィーン包囲以来、攻城戦は地下戦争、塹壕戦争が主流となっています。攻める側も、守る側も、必死でトンネルを掘り、敵の城壁、敵の陣地、敵のトンネル、の間近で爆弾を爆発させる。トリノ側は降伏なぞ考えた事もないというように、果敢にフランス軍に戦いを挑みます。サヴォア公爵ヴィットリオ・アメデオ自身も、少人数の騎兵を率いてフランス軍を側面から悩ませる。la Feuillardeは予想外の成り行きに困惑します。
ピエトロ・ミッカは、この包囲戦中の、トリノ守備兵の一人でした。彼は味方の敗勢を見るや、爆弾を小脇に抱えて狭いトンネルに潜り込み、敵陣地の真下で自爆して果てたといわれています。トリノは陥落を免れました。(ちなみに、これは「ミッカの抱えていた爆弾のヒューズの故障に過ぎなかった」という証言もあるようでありますが、出典不明)
ピエトロ・ミッカはトリノを首都とするサヴォア公領の救世主とされ、サヴォア公爵がシチリア王、サルディニア王となり、後にイタリア王国の王家となっても、彼の名前は「英雄」の代名詞として受け継がれました。今もトリノにはピエトロ・ミッカ博物館があるはずです。その間、およそ300年。60年前、日本でも無数の英雄が生まれたはずですが、そうした犠牲を顕彰する場所は少ないようです。まず勝ってこその「英雄」という事でもありましょうか。歴史は無情であります。
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by rotarotajp | 2005-09-29 17:53 | バロック