日々是勉学


by rotarotajp
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Battle of la Marsaglia

Battle of la Marsagliaについて調べている。ちょっと詳しい資料にあたったなと思うとフランス語だったりイタリア語だったり、軍関係のはドイツ語だったりするのが普通だ。しかもイタリアのサイトは英語度が低く、非イタリア圏の人には極めて不親切。とにかく半泣きである。比較的読みやすい英語サイトでも辞書と大格闘。御当地の観光用地図とMappe(伊語で地図のことらしい)サイトを検索、時折あまりの不親切さに「アホでないか、君たちは!」と筋違いな罵声を浴びせながら位置を把握していく。で、今自分が理解しているところを簡単にメモっておく。会戦の経緯は以下のとおり。
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(添付写真はトリノのパラッツォ・マダーモ)1693年のキャンペーン・シーズンになると、同盟軍(アメデオ公爵とオイゲン公子(この年に帝国元帥)の軍)はピエモンテ内のフランス軍駐留地ピネローロの砲撃を開始する。同盟軍はピネローロに付属する要塞、聖ブリジッド(?)を攻略。イタリア方面のフランス軍を率いるカティナ(Nicolas・Catinat 1637-1712 この年元帥に昇進)は25000の歩兵、12000の騎兵、砲20門、総勢38000を用意してアルプス方面より南下(だと思う)オルバッサーノ(トリノの西、ピネローロとの中間点付近にある村)近くに展開した。騎兵82個大隊、歩兵52個大隊、竜騎兵、および砲兵。迎え撃つ対仏同盟軍はあわせて30000。北にフランス軍、南に同盟軍が布陣する。同盟軍は数で劣る上、Cisola?川に中央で分断されている。対するフランスは西の高地(Piosaga)に兵を入れて、素人目にもフランス有利。会戦の名の由来となった僧院Masaille(現在の姿は不明)は川の南側、同盟軍陣地のど真ん中にある。おそらくは同盟の本陣となったものか?ちなみに仏軍が山の上に城?をつくったという記述もあったが未確認。オルバッサーノでの対峙がいつ頃から始まっていたのかも不明。戦闘は朝九時、フランス軍の砲撃で開始された。砲撃の後、フランス軍は全線で戦闘を開始。不利な布陣であった同盟の左翼はたちまち崩壊、右翼はしばらく粘ったが、やはり仏側第二線の予備軍が投入されると耐え切れずに崩壊。中央も撤退を始める。戦闘は四時間半にわたって続き、フランス軍は敗走する同盟軍を、ほとんどトリノ面前まで追い詰めた。フランス軍の損害2000から3000、対する同盟軍は10000前後を失った。カティナの副官?にはヴァンドーム公ルイ・ジョゼフ(血筋からいって総司令官か??)がついていたので、後の歴史を考えると、両軍あわせてほとんどドリーム・チームの趣あり。ちなみジョゼフはオイゲンの従兄弟でもある。それにしても史料少ない・・・・仏や伊やらの陸軍資料室なんかに行ったら資料山積みなんだろうなぁ。今は他の何よりもドラえもんの「翻訳こんにゃく」が欲しいです。誰か開発してください。
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by rotarotajp | 2005-06-17 08:31 | バロック