2007年 08月 27日 ( 1 )
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何やらフランスで人種差別に関する報道番組に人気が集まっているらしい。
特殊なメーキャップで白人一家を有色人に、有色人一家を白人に仕立てて反応を見るという、それこそエディ・マーフィのお笑いのような内容ながら、「特殊メーキャップ」の出来が素晴らしいとかで、日常のこまごまとした場所での「差別」「区別」が浮き彫りになり「目から鱗」なのだそうです。
肌の色や人種・民族によって相手を「区別」するという人は、意識をしていなくても多いはず。皮肉なのは人種分類という考え方が啓蒙思想の時代、特にフランスを中心に発達したことで、現在の「事実」で社会を研究すれば当然に出てくる思想でありましょう。
人種分類は「鶏が先か、卵が先か?」の典型的な問題です。アメリカの実際の例でいつか報道されていたことですが、詳細を検索できないので仮定の話で・・・。
ある地域で有色人が麻薬を持つ確率が多く、白人のそれが皆無に近いとします。犯罪に手を染める人間も有色人に多い。警察は経験として、有色人に犯罪者が多いという「事実」に基づく情報を得ます。さて、治安が乱れると住人からは犯罪の撲滅、安定した社会に対する欲求が高まり、警察には実績が要求されます。
簡単に実績を上げるには、有色人を狙い撃ちして「予防」をすればよい。
さて、そうするといよいよ地域の有色人の評判は悪くなります。白人と同様の教育を受けても、この「評判」によって同等の就職が出来ない。収入を得るのが難しくなるわけです。貧困に陥る可能性が高くなる。彼らの子供たちは教育に充分な資金を得られず、全般に劣悪な環境で育つことになります。子供は幼い頃から犯罪に対する免疫が強くなります。
結果としてピンポイントで有色人の犯罪者が増え、上の状態に戻るわけです。
この負の連鎖を断ち切るには教育の質を上げるしかないといわれています。しかしながら、犯罪に傾く心を抑える万能薬は黄金の小判と、それに裏打ちされた自負心だけとあって、なかなか改革は進みません。
ところで問題を含みながらも、人種分類的手法にまったく利益がないかというと、勿論そうではありません。(それが問題でもあるのです)例えば人種によってかかりやすい病気やその傾向が違い、医学においては当然のように「分類」されていますし、上記の例では犯罪検挙率があがって一時的に社会が安定します。社会学や政治学でみると、民族・文明と重なる為に、特定のグループの傾向を知るには都合が良い「枠組み」になります。これを無視するのは、以前の記事でも触れましたように、木を見て森を見ない行為です。
ちなみに欧州発の白人優位の人種論は1000年近く猛威をふるいましたが、その原因については諸説あります。有力なのは東方の優れた文明(イスラム)に触れた反動であったとかですが、なぜここまで狂信的になったのかは謎といってよいでしょう。イエスは中東の人でしたが、多くの宗教画がイエスを白人金髪(栗色)に描いていますし、天使なぞは明らかに白人。果てはアフリカ系有色人であったに違いない聖アウグスティヌスなぞも白人に修正されています。ナチスの運動がヨーロッパ復興運動と呼ばれたのも、一部はこの流れに乗っています。
ヒトラーは前線に出されたフランス・アルジェリア兵(ちなみにフランス白人兵はマジノ線に篭って豊富な食糧と慰安を与えられていた。真っ先に磨り潰されて戦死したのはアルジェリア兵だといわれている)による欧州の「黒化」を本気で恐れていたようです。
フランスは冷戦を背景にした奇術によって第二次大戦の戦勝者の地位を手に入れましたが、ナチと一緒に敗戦したというのが実際のところで財布は(威信も)空っけつでした。植民地を絞りに絞って復興の資金を手にしたと非常に評判が悪い。
ベトナム、アルジェ、チュニジアと、次々に「保護領」を失いましたが、ことにアフリカに関しては癒着がひどく、秘密警察の暗躍や虐殺で歴史に汚点を残しています。
日本でも帝国主義の時代に朝鮮半島からの「強制徴用」(戦後すぐの調査では強制移入が約2万、出稼ぎが約200万程度あったといわれています。この200万の一部も総動員以降は自由が失われます)があり今も問題になっていますが、しかしながら少なくとも日本は敗戦後帰国事業を推進し、在留者には二世三世にも特権を付与し、国に対しては国家予算の数倍という巨額の賠償を行っています。朝鮮半島に残した日本の資産も回収しておりません。
これに比べるとフランスの人種収奪は凄まじく、年月も長く、人をほとんど家畜化しておきながら、現地に資産もほとんど残さず、その補償、賠償、謝罪が行われた事などまるで聞いたこともないという、摩訶不思議な状態。しかも時期的には日本のそれよりも新しい。
フランス人に「日本の戦後清算」などといわれると、日本人の口から「東洋的な」苦笑がもれるのはその為です。
・・・・主題から外れてしまいました。
人種差別・人種分類は歴史が絡むこともあって、極めて難しい問題です。宗教が重なるところもある。現実的な利益・不利益が絡むのも大きい。
ミクロの例では、犯罪の温床と知りながら取り締まらず、それで例えばわが子を失った両親などは熱烈な人種分類論者になるでしょう。マクロの例では植民地時代に定着した南北問題を解決するために生活水準を下げられたら、国民は政府を倒すでしょう。
両者は実際には同根の問題、長い「鶏と卵」の循環の中で固着した貧富の差の問題なのです。
結局、解決策は教育しかない。でも効果は薄いでしょう。人間は構造的不平等の定着を打ち破ろうと試みる強い生き物です。
上で人種分類に基づく警察行動を行うと「一時的に社会が安定する」と書きましたが、「一時的」ではないその「最終解決」の方法はご存知の通りです。ナチや共産政権がこれを試みています。
一言でいえばアウシュビッツです。
教育かアウシュビッツ。
60年代から連綿と続く日本の低劣な教育を考える時、背筋が寒くなるような話ではありませんか?
特殊なメーキャップで白人一家を有色人に、有色人一家を白人に仕立てて反応を見るという、それこそエディ・マーフィのお笑いのような内容ながら、「特殊メーキャップ」の出来が素晴らしいとかで、日常のこまごまとした場所での「差別」「区別」が浮き彫りになり「目から鱗」なのだそうです。
肌の色や人種・民族によって相手を「区別」するという人は、意識をしていなくても多いはず。皮肉なのは人種分類という考え方が啓蒙思想の時代、特にフランスを中心に発達したことで、現在の「事実」で社会を研究すれば当然に出てくる思想でありましょう。
人種分類は「鶏が先か、卵が先か?」の典型的な問題です。アメリカの実際の例でいつか報道されていたことですが、詳細を検索できないので仮定の話で・・・。
ある地域で有色人が麻薬を持つ確率が多く、白人のそれが皆無に近いとします。犯罪に手を染める人間も有色人に多い。警察は経験として、有色人に犯罪者が多いという「事実」に基づく情報を得ます。さて、治安が乱れると住人からは犯罪の撲滅、安定した社会に対する欲求が高まり、警察には実績が要求されます。
簡単に実績を上げるには、有色人を狙い撃ちして「予防」をすればよい。
さて、そうするといよいよ地域の有色人の評判は悪くなります。白人と同様の教育を受けても、この「評判」によって同等の就職が出来ない。収入を得るのが難しくなるわけです。貧困に陥る可能性が高くなる。彼らの子供たちは教育に充分な資金を得られず、全般に劣悪な環境で育つことになります。子供は幼い頃から犯罪に対する免疫が強くなります。
結果としてピンポイントで有色人の犯罪者が増え、上の状態に戻るわけです。
この負の連鎖を断ち切るには教育の質を上げるしかないといわれています。しかしながら、犯罪に傾く心を抑える万能薬は黄金の小判と、それに裏打ちされた自負心だけとあって、なかなか改革は進みません。
ところで問題を含みながらも、人種分類的手法にまったく利益がないかというと、勿論そうではありません。(それが問題でもあるのです)例えば人種によってかかりやすい病気やその傾向が違い、医学においては当然のように「分類」されていますし、上記の例では犯罪検挙率があがって一時的に社会が安定します。社会学や政治学でみると、民族・文明と重なる為に、特定のグループの傾向を知るには都合が良い「枠組み」になります。これを無視するのは、以前の記事でも触れましたように、木を見て森を見ない行為です。
ちなみに欧州発の白人優位の人種論は1000年近く猛威をふるいましたが、その原因については諸説あります。有力なのは東方の優れた文明(イスラム)に触れた反動であったとかですが、なぜここまで狂信的になったのかは謎といってよいでしょう。イエスは中東の人でしたが、多くの宗教画がイエスを白人金髪(栗色)に描いていますし、天使なぞは明らかに白人。果てはアフリカ系有色人であったに違いない聖アウグスティヌスなぞも白人に修正されています。ナチスの運動がヨーロッパ復興運動と呼ばれたのも、一部はこの流れに乗っています。
ヒトラーは前線に出されたフランス・アルジェリア兵(ちなみにフランス白人兵はマジノ線に篭って豊富な食糧と慰安を与えられていた。真っ先に磨り潰されて戦死したのはアルジェリア兵だといわれている)による欧州の「黒化」を本気で恐れていたようです。
フランスは冷戦を背景にした奇術によって第二次大戦の戦勝者の地位を手に入れましたが、ナチと一緒に敗戦したというのが実際のところで財布は(威信も)空っけつでした。植民地を絞りに絞って復興の資金を手にしたと非常に評判が悪い。
ベトナム、アルジェ、チュニジアと、次々に「保護領」を失いましたが、ことにアフリカに関しては癒着がひどく、秘密警察の暗躍や虐殺で歴史に汚点を残しています。
日本でも帝国主義の時代に朝鮮半島からの「強制徴用」(戦後すぐの調査では強制移入が約2万、出稼ぎが約200万程度あったといわれています。この200万の一部も総動員以降は自由が失われます)があり今も問題になっていますが、しかしながら少なくとも日本は敗戦後帰国事業を推進し、在留者には二世三世にも特権を付与し、国に対しては国家予算の数倍という巨額の賠償を行っています。朝鮮半島に残した日本の資産も回収しておりません。
これに比べるとフランスの人種収奪は凄まじく、年月も長く、人をほとんど家畜化しておきながら、現地に資産もほとんど残さず、その補償、賠償、謝罪が行われた事などまるで聞いたこともないという、摩訶不思議な状態。しかも時期的には日本のそれよりも新しい。
フランス人に「日本の戦後清算」などといわれると、日本人の口から「東洋的な」苦笑がもれるのはその為です。
・・・・主題から外れてしまいました。
人種差別・人種分類は歴史が絡むこともあって、極めて難しい問題です。宗教が重なるところもある。現実的な利益・不利益が絡むのも大きい。
ミクロの例では、犯罪の温床と知りながら取り締まらず、それで例えばわが子を失った両親などは熱烈な人種分類論者になるでしょう。マクロの例では植民地時代に定着した南北問題を解決するために生活水準を下げられたら、国民は政府を倒すでしょう。
両者は実際には同根の問題、長い「鶏と卵」の循環の中で固着した貧富の差の問題なのです。
結局、解決策は教育しかない。でも効果は薄いでしょう。人間は構造的不平等の定着を打ち破ろうと試みる強い生き物です。
上で人種分類に基づく警察行動を行うと「一時的に社会が安定する」と書きましたが、「一時的」ではないその「最終解決」の方法はご存知の通りです。ナチや共産政権がこれを試みています。
一言でいえばアウシュビッツです。
教育かアウシュビッツ。
60年代から連綿と続く日本の低劣な教育を考える時、背筋が寒くなるような話ではありませんか?
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by rotarotajp
| 2007-08-27 19:50
| 時事
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