日々是勉学


by rotarotajp
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カテゴリ:バロック( 50 )

ババリア

バイエルンの英語・ラテン語読みがババリアです。日本の場合、より一般的なのはバイエルンでしょうが、Rotaはどうしたわけでか、ババリアの方が耳に馴染んでいます。バイエルンというと、何か縁遠い地名、教科書的な地名になってしまうのですが、ババリアというと「うわっ」と言うほど付属イメージが湧き上がってくる。黒に銀の装飾をほどこした騎兵、黄金のライオン、そんなものです。一体いつこんなイメージが頭に入ったのか悩む事数分、おそらくは「むかし読んだ名作文学の類だろう」と結論づけました。昔、外国の地名は大抵英語読みか漢字読みでした。バイエルンと書くものは少なく、大方はバヴァリアかババリアだったと記憶しています。いつの段階からか、地名はその土地の呼び方で呼ぶようになり、今では例えばエベレストなぞもチベット読みで「チョモランマ」と表記する場合が多いようです。まるで別の場所に感じられるので止めて欲しいのですが、これも時代の流れ。しょーがありません。地名に限らず、名詞の音のイメージというのは、その他諸々の記憶とも結びついているので、それが変わってしまうと失われるものも多い。よく小説などで、長いカタカナの名前を持つ主人公の名を間違って憶え読んでいて、途中で気付いて「えええ?」と修正に時間がかかってしまう場合があります。大抵は修正せずに、間違った名前で読み通してしまいますがね(´Д`υ)・・っと、本日は音は大事なんだぞ、という小さな自己主張の日記でありました。ちゃんちゃん
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by rotarotajp | 2006-06-08 23:35 | バロック

日本の男尊女卑について

 数年前、ある人に「君には男尊女卑の傾向がある」といわれた事があります。Rotaはラジカルなジェンダーフリー論者ではありませんが、公平にいって格別「女卑」の思想の持ち主でもないと思っています。しかし、ジェンダーフリー論者のいう、いわゆるジェンダーバイアス(性的決めつけ・偏見)については妄想で、生まれ持った「性による傾向」は存在するとも考えています。それがあくまで「傾向」であって、それぞれの環境や教育によって、変化しうるものであることは認めています。
 人間は自然に逆らって着物を着ています。ダイエットをします。排泄をトイレに行くまで我慢します。生まれ持った性の傾向に抵抗するぐらいが何でありましょう?ただし、可能であるから、そうすべきなのだ、という考えには同調しません。苦しいダイエットにはリバウンドがつきものだからです。
 なんだかんだで、(自分を検証する意味を込めて)ぼんやりと「日本の男尊女卑の姿」を考えてみました。
 日本の「男尊女卑」のシンボルといえば「女大学」です。貝原益軒の和俗童子訓之5巻をもとにしていると言いますが、詳しくは知りません。女大学の中身は日本人なら大抵知っているはずです。特に有名なのは七去。嫁に来た女性が家を去る条件を定めたもので、淫乱だったり、盗みをはたらいていたり、子供が出来なかったり、病気になったりすれば「去れ!」という長子相続・家本位を徹底させる内容。「女、三界に家なし」とはどういうことかを説明する内容となっております。
 さて、こうした思想は一体何処から来たのか?根っこは儒教ですから、渡来モノには違いありません。それも比較的新しい。Rotaは江戸時代に移入された朝鮮儒教が大元であると考えています。
 一子相続による財産継承を必要とするようになった武家の時代以降、女性の立場は、すくなくとも武家の上流階級においては、欧州同様の「疎外」状態におかれるようになっておりました。しかしそれは一部のことです。宣教師のフロイスが「日本の女性の処女性に対する無頓着ぶり」に触れていますが、戦国時代の半ば頃まで、相続に関係する女性以外は極めて自由でありました。男を叩き出す女房の話なども残っていますし、それが「モラルに反する」といった表現も目にした事がありません。
 さて、しかし朝鮮儒教が江戸の将軍によって国学とされると、状況は一変します。現在も韓国の男性と結婚した外国女性のほぼ80%の人が「韓国人ともう一度一緒になるのは嫌だ」と答えるといわれております。既婚男性の90%が妻以外との性交渉を望んでおり、70%が浮気の経験があると答える。朝鮮儒教の発生地、朝鮮半島は、日本なぞ霞んでしまう超男尊女卑文化です。あくまで父系を重視する儒教の影響が今も強く残っています。
 前にも書きましたが、日本に儒学は入りましたが、たまたま江戸の政府が「軍人政権」であった為に、宗教としての「儒教」は根付きませんでした。父母に貰った身体を傷つけてはならん!という私的・家族的モラルは、主君の為なら命を投げ出し、事に失敗したなら切腹する、という「武士道」の公的モラルと真っ向から対立したのです。
 ただし、儒学は武家の一子相続の思想的背骨としては非常に便利な考え方であったので、その部分だけは定着していきました。(水戸黄門の後継相続の逸話などが、長子相続モラルの固着化を象徴しております)これが日本の男尊女卑の文化的背景だと思います。
 公平を欠くので付言しますが、腕力がモノをいう18世紀以前の世界では、男尊女卑が当たり前の風潮であり、朝鮮儒教のそれが歴史の中で特筆されるべきものだとは思っていません。仏教においても女性を忌むべきものとしていることに注意。
(なぜ財産を一子相続としなければならなかったか、という考察は、また次回)
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by rotarotajp | 2006-05-01 02:02 | バロック

酒池肉林

「酒池肉林」という豪華な名前の本を読んでいる。内容は・・・・だが、読み物としては軽めで面白い部類だろうか。中国における桁外れの「奢侈」が主題である。そも酒池肉林とは殷の紂王が行った宴会の様子を指す。「酒を満たした池を造り、樹木に干した肉(当時は最高のごちそうだった)を引っ掛けて肉の林とした。」(同書より)そこに裸の男女を大勢はべらせ、自分は美女を脇において目の前の景色を楽しんだという。後世の「奢侈」に比べたら実に素朴。奢侈贅沢の原始形と思われる。作者によれば「奢侈」の「奢」は大きな者、「侈」は多い人、の意だそうで、「奢侈」はそもそも「物量が豊富な状態」を指しているのだとか。この奢侈の本質は現代でも余り変わらないらしい。面白い「奢侈」もあったものだと感心したのは、テレビでみたある食玩コレクターの日常だ。種類も様々ある中で、ある食玩の、ある特定の模型だけをひたすら集める「贅沢」を満喫しておられた。つらづら考えるに、なるほど、特に酒池肉林でなくとも、愛着があって手に入りにくいものが山ほど手元にあったなら、それはそれなりに幸せかもしれない。こちらも精神衛生の為に何か集め始めるかな、と思わないではないのだが・・・、さて、何を集めるかが大問題だ。切手もコインも興味がないし、メーカーの戦略にノセられるようで食玩やらナントカ・カードやらも食指が動かぬ。女性の下着など集め始めたら、きっと悪友の誰かに通報されるだろうし・・・他に好きなものといったら・・・ううむ・・・
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by rotarotajp | 2006-04-28 15:58 | バロック

ゲーリング

d0052110_22331126.jpgまたヒトラーに回帰する。
ヒトラーを支えた主要な人物らの名前は、ヒトラー同様、忘れがたい印象を残す。個人に責任と権限を集中させるナチズムならではのことだろう。ゲーリング、ヒムラー、ボルマン、ヘス、ゲッペルス、シュペーア等々。個性も多彩で、それぞれに際立っている。
さて、今回興味を持ったのはゲーリングだ。大食漢の美術愛好家、多くの財宝を私して華麗な生活を楽しんだ。1人異様な制服?を好み、麻薬中毒者であり、指導能力には多くの疑問符がつくが、ヒトラーには骨の髄から忠実だった。ヒトラーは(例外的に)忠実な部下に恵まれた独裁者であったと思う。彼に粛清されたレームでさえ、死の直前までヒトラーを信じた。帝国最末期にヒトラーはゲーリングの裏切りを確信してその権限を剥奪したが、それも首都攻防戦の混乱の中で生じた誤解の類と思われる。ニュルンベルグ裁判中、体重を4割減らしたゲーリングは、1人ヒトラーを弁護し、ムショに戻ると、ともすれば転向しそうになる囚人仲間をどやしつけたという。親しみが湧くかというと、それは別の話だが、面白い人物ではある。ゲッペルスやヒムラーを扱ったものがあっても、本格的なゲーリング論のようなものが見当たらないのは、おそらく彼が極度に卑俗的であったせいだろうが、それでも彼がナチズムの体現者の1人であった事は否めない。
それにしてもナチズムには動物の肉を包丁でぶった切るような、あるいはドイツ・ソーセージ的ごった煮感とでもいおうか、とにかく肉食人種の、骨も肉も一緒に混ぜて磨り潰すような汚さがある。しばらくかかわると、その肉臭さに辟易する。
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by rotarotajp | 2006-04-18 22:34 | バロック

バロック回帰

バロック(太陽王)以降の軍装:
太陽王の54年に及ぶ親政期間のうち、34年間は戦争に費やされたといいます。その間の軍制の変化、軍装の進歩は非常に興味深く、現代に残る軍隊の基礎の多くがこの時代に創られたと言われています。太陽王の時代、戦争に投入される兵の絶対量が激変しました。フランス以前の覇者スペインは4万の兵で欧州を動かしたといわれますが、太陽王はその治世に40万の軍を必要としました。王が兵科毎にお揃いの軍服を用意したのは、戦争が「マス」の領域に入ったからでありましょう。パイク兵の鍔迫り合いは姿を消し、大量のマスケット銃で、火力を集中させる戦術が用いられるようになります。銃に対しては無力で、しかも素早い動作を妨げる重装備(鎧兜)の兵は駆逐され、軍服は現在見られるような、布製のものとなります。士官は胴当てを着込む事を「勇気のない証拠」とみなして戦場に臨んだので、消耗率が極めて高く、勅命を発して、士官に胴当ての着用を義務づけた事もありました。胴当ての効能は後に見直され、特にナポレオンは重装備の突撃騎兵に価値を見出し、巧みに運用しました。
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by rotarotajp | 2006-03-21 18:05 | バロック

聖女

ジャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc)といえばフランス救国の英雄です。特に名もない田舎の少女でしたが、ある時、神様(ミカエル?)のお告げを受けて大発奮。シャルル7世の元へ赴き、7ヶ月以上、英国軍に包囲され続けていたオルレアンを、わずか9日間で解放。道々の英国軍を打ち破り、ランスの大聖堂で王を戴冠させました。実に摩訶不思議な奇跡的少女なのであります。王の戴冠以降は孤立し、一説には王に裏切られたとも云いますが、英国軍に捕らえられ、過酷な拷問と暴行の末に処刑されました。それが1431年5月30日のこと。そんなわけで彼女は5月30日の守護聖女です。で、何ゆえ突然ジャンヌ・ダルクかというと、その守護分野を今日初めて知ったからです。中世に生きた彼女の守護分野はなんと「電報とラジオ」。神様の声を聞いたからだそうです。(フランス歳時記:中公新書)いわれてみれば、まあ、なるほどなぁという気もいたします。彼女が聖女に叙せられたのは第一次世界大戦後のことで、これはちょうど電報やラジオが重要であった時代です。
さて、こういう神がかりな英雄が現れますと、まわりの人間もおかしくなります。彼女の副官であり、熱烈な信奉者でもあったジル・ド・レは、奇跡の少女を目の当たりにして神様に入れこみ、教会の建設やら聖歌隊やらで恍惚としている間に、莫大な財産を失ってしまいます。その後は領地に篭って錬金術の研究に励み、おそらくは現世利益と縁のない神様に見切りをつけて、悪魔崇拝に精進。近郊の少年少女をさらい、城に連れ込んでは殺害。被害者は1500人にも達するというから恐れ入ります。やがて悪行が発覚して聖女同様、火刑に処せられました。
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by rotarotajp | 2005-12-06 22:50 | バロック

226

なぜ11月の今日に226なんだ?と尋ねられれば返答に窮しますが、・・・ええ、直接の原因は本箱から落ちた本を整理していて(普段こぼれ落ちた本は「これも運命である」と、そのまま床に積み上げる)「そういえば読みきっていないなぁ」という松本健一先生著の「北一輝論」を見つけたことからです。なかなか面白さの「キワ所」が捉えにくい本でして、購入して随分経つのですが、いまだにツマミヨミはしても全部通読しきれておりませぬ。北一輝という隻眼の異様人を理解する度量がRotaにはないのかもしれません。
さて、出るわ出るわ、「北一輝論」を本箱に押し込むと、226関連の本が下から山と出てきますヨ。226資料の一角がまとまって崩れ落ちたようで、これだけ出るとおとなしく本箱に押し込むのが惜しくなりますデス。九時ぐらいに片づけを始めて、すでに1時間(2時間か?)。片付けたのは最初の1分ぐらいで、後はずっと本を読んで当ブログを書いております(笑 本箱にあった本も机の上に引き出されて、片付け始める前より部屋は乱雑。

226事件における昭和天皇の対応は(その後伝えられているところでは)極めて明快です。昭和史の一つの見せ場でもありますし、この部分はいつ読んでも小気味がいい。
「~宮中に(事件発生の)第一報が入ったのは5時30分頃だった。天皇はまだ目覚めの前だったが、当直の甘露寺受長侍従が伝えると「とうとうやったか、」と吐き捨てるようにいって、すぐ軍服に着替え、表御座所に入った。(「昭和天皇とその時代」河原敏明:文春文庫)
本庄侍従武官長の手記には次のようにあります。
「~その精神に至りては、君国を思ふに出でたるものにして、必ずしも咎むべきに非ずと申述ぶる所ありしに、後御召しあり、朕が股肱の老臣を殺戮す、この如き凶暴の将校等其精神に於いても何の恕すべきものありやと仰せられ~」云々。
天皇の言葉としては以下のものが最も有名かもしれません。
「~行動部隊に対する鎮圧手段実施の進捗せざるに焦慮あらせられ、武官長に対し、朕自ら近衛師団を率ゐこれが鎮圧に当らんと仰せられ~」
天皇は事件発生の一報以後、数十分毎に武官長を呼び出し「反乱部隊鎮圧」を督促したといわれています。(「クーデター」中公新書:尾鍋輝彦著)
このように伝えられている事が本当なら、石原莞爾らが鎮圧部隊を東京に用意する以前から、昭和天皇はあくまで行動部隊と対決されるおつもりだったのです。その姿勢が、ともすれば決起将校側に傾こうとする軍の一部を押し留め、帝都の陥落を免れさせたのかもしれません。

ところで、昭和天皇に横ッつらを叩かれたに等しい決起将校らは、この天皇の意思を(言葉を)、この時は知りませんでした。簡単に約めていえば、決起将校らは天皇を取り巻く重臣らを取り除いたなら、その陰から半ば神である天皇が現れ、自分たちの側に立って(彼らが感得しているところの)不正を正すと信じていたようです。(決起趣意書に「不逞凶悪の徒続出して私心私欲を恣にし」「君側の奸臣軍賊を斬除し」とある)それが全てではなかったでしょうが、信条のどこかに、そうした気持ちがある。上述の「北一輝論」に、その関係をわかりやすく表現している箇所があって、ウマイこと書くなぁと感心してしまいました。(以下引用部分「北一輝論)「(決起将校らは)~天皇に「惚れて」いたのである。~中略~彼らの情熱の激しさが恋人を覆っていた御簾を焼き落としたとき、この世でもっとも美しいはずの恋人がそこにはいなかったのだ。おそらく失恋者のたどる道筋は、美しくない恋人を呪うか、美しいと信じていた自分を呪うかである。~中略~天皇を呪うということは、天皇を恋闕し天皇を奉じて決起した自己を呪うという事であった」

雪の最中に始まった事件は、その年の夏には大部分、決着します。7月5日、非公開裁判の判決は死刑17名、無期5名、有期禁固54名。僅かな間を挟んで、12日には死刑が執行されます。ここに至る道もなかなか酷薄でありました。事件前に彼らを焚き付けた高級将校らは臆面もなく距離を保って近寄りません。陸軍省は自決の為の白木綿から、棺桶、死体の処理に使う脱脂綿や消毒薬まで用意して、武装解除に応じた決起将校らに拳銃軍刀の携帯を許し「死ね、死んでしまえ」(将校手記より)よがしの態度をとったそうです。決起将校らが法廷闘争に臨んだのは、そうした軍の「遣り口の汚さ」に憤激したからだともいいます。獄中、いよいよ天皇の言葉と意思を知った将校は、いかに打ちのめされた事でしょう。磯部浅一氏の獄中手記に以下のような言葉があるそうです。「陛下が、私共の挙を御きき遊ばして「日本もロシヤの様になりましたね」と云うことを側近に云われたとのことを耳にして、私は数日間 気が狂いました」
ついに想い想ってきた恋が破れた時、彼は髪を掻き毟ったのでしょうか?じっと牢獄の壁を見つめただけでしょうか?
いつもモノ寂しい冬の時期にRotaが226を想うのは、それが白い雪と不可分であるからだけでなく、日本の恋の凄まじい一例として、事件が際立っているからかもしれません。
(恋闕とは何かって?聞かないで下さい(´・ω・`)ノ
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by rotarotajp | 2005-11-27 10:38 | バロック

眠し!

Map作成等で遊んでいたら慢性睡眠不足&慢性頭痛でやや朦朧としているRotaであります。なおかつデリケートな尻の皮にニキビが出来てジンワリと痛く椅子に座るのが苦痛だったりもします。誰かにコッソリ呪いでもかけられているんじゃないかというぐらい不調気味な今日この頃。さて、本日も気付いた事をメモ風に1つ2つ・・・。
シラーの「ヴァレンシュタイン」(岩波文庫)をパラパラとめくっていたら、巻末解説に兵士(Soldier:独ではSoldat:伊ではSoldato)の語源由来が載っておりました。もとの言葉はラテン語の「Solidus」。「金貨」とか「兵士の受け取る給与」とかいう意味の言葉なんだそうです。つまりSoldier(兵士)には、元来「金で雇われた」というニュアンスがあるのですね。一つ賢くなりました。
さて、第二点、三十年戦争の梟雄といえばスウェーデン王のグスタフ・アドルフ。プロテスタントの保護者としてドイツに殴り込みをかけ、軍制を大幅に改革して、当時最強の軍隊をつくりあげました。アルプスを越えて、新教徒にとっては最大の「アンチ・クリスト」=法皇が住まうローマにまで進軍しようかという壮大な可能性さえ覗かせた人ですが、リュッツェン会戦でヴァレンシュタインと衝突。あえなく戦死してしまいます・・・が!「戦うハプスブルグ家」(講談社現代文庫)にこの王の最後を詳述した箇所があり、初めて知ったのですが、王の傷は以下→「右耳と目の間に銃傷」「わき腹に傷」「背中に銃弾」。なんと背中に銃弾!いやぁロマンであります。この王の死にこんな疑惑があるとは知りませんでした。学校の教科書にもこうしたことを載せればもっともっと面白くなると思うんですが・・・。第三点。三十年戦争の発端といわれる「皇帝代官窓外放擲」事件。「高い窓」から外に放り出された三人は当然死んだのだと思い込んでいましたが、実は三人とも落ちどころがよかったらしく、傷一つなかったそうです。カトリック側は「奇跡だ!」とプロパガンダの材料にしたのだとか。最近三十年戦争の時代が面白くなってきました!関連本がほとんど絶版なのはルイ時代と同様。また古本を漁りに出撃するかなぁ・・・いや、まずこの尻のニキビを根絶して・・・(´・ω・`)
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by rotarotajp | 2005-11-25 21:18 | バロック

城壁の真髄ここにあり。

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ピレネーに程近いフランス、ラングドック地方の一番の名物といえば「カルカッソンヌ」の城塞都市でありましょう。ここは世界遺産にも指定された、中世城壁マニアの、いわば聖地ともいうべき場所であります。かつては何処でも見られた風景。都市を取り巻く城壁や、バロック君主らが自領に張り巡らせた星型の防塁は、時代が進むにつれ無用化し、交通の妨げにもなったことから、今ではその殆どが破壊されてしまっています。(旧市街を取り巻く環状道路などはたいてい昔の城壁の名残です)カルカッソンヌは、完全に近い形での「中世城塞都市」が、そのままの姿で見られる、おそらく全欧州でも稀有の場所であります。例によってローマ時代の遺物が混交する、典型的な「積み上げ」建造物で、ロマン様式からゴシック様式にいたる様々な時代(ある種の先入観のもとで大戦後にほどこされた修繕工事も含めて)の遺物を見る事ができます。Rotaは何の因果でか、この比較的小さく、城壁しか見るものがない場所に五日間ほど滞在いたしました。まだ観光の季節でもなかったので、人出もなく、閑散とした場所で一日、ボーっと城壁の石に座って古代の恐竜のようなシロモノを眺め続けたです。猛暑の上に、乾燥していて、すぐ服に塩が吹き出てきました。城壁の内部は一応、普通の町か村のようになっておりまして、その殆どがレストランやお土産屋といった観光客相手の商売を営んでいるようでした。とはいえ生活の実態がないわけではなく、観光客の行かない片隅には生活臭もあります。映画の舞台等にもよく使われているので、知らずに見ている人も多いだろうと思います。
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by rotarotajp | 2005-11-04 20:02 | バロック

肖像

d0052110_1049514.jpgナポレオン1世の肖像画は数多く残されております。有名なものだとAntoine-Jean Grosの【Le General au pont d'Arcole】オーストリア軍と対峙する颯爽たる青年将軍ナポレオンが(本当は黒髪のはずなんですが)ネズミ色の髪を振り乱し、 左手に軍旗を、右手に幅広のサーベルを握っています。Davidの【Bonaparte franchissant le Grand Saint-Bernard】アルプスのサン・ベルナール峠を越すナポレオンの図。白い馬にまたがり、背中の赤マントが風にはためいています。「余の辞書に不可能の文字はない」とセットになって、よく持ち出される絵ですネ(^-^; 名家のお嬢さんのお見合い写真ほども信用なりません。ナポレオンは女性にモテましたが、しかし【美男子】という範疇の人ではなかったようです。ナポレオンの肖像でRotaが一番好きなのはポール・ドラローシュの【フォンテーヌブローのナポレオン1世】であります。ちょっと座って、急いで描かせたスケッチをそのまま彩色したような、やや底意地の悪い絵なのですが、生のナポレオンを見ているような、独特の迫力があります。右腕は椅子の背にかけられ、左手は白いズボンの膝の上。泥に汚れた軍靴と、ややお寒い黒髪の毛。トレードマークでもある灰色のコート。作者がこの絵で意図したのは1814年3月31日、すなわちパリが陥落した日の失意のナポレオンです。毛も抜け落ちようというものでありましょう。この男性が、ほとんどその全生涯を費やした、シャルルマーニュ以来とも思われる大帝国が、この日、失われたのです。
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by rotarotajp | 2005-11-03 10:55 | バロック