日々是勉学


by rotarotajp
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カテゴリ:バロック( 50 )

楽天的

「物語ドイツの歴史~ドイツ的とはなにか~」阿部謹也先生著:中公新書、を読み直しています。一読後「つまらなかった」と切り捨てた本ですが、相変わらずジューシーさには欠けるにしても、口の中に不快な小骨のようなものが残り、前には感じなかった魅力に気付かされました。特に今回感じたのは「個性」の成り立ちです。「第七章、15・16世紀の文化と社会」の最後にエリーザベト・タークスという女性が紹介されています。彼女は再洗礼派の疑いをかけられ、厳しい拷問を受けます。「我々のミサをどう思うか?」の質問に答えて「あなたがたのミサはまったく信じておりません。信じるのは神の言葉だけです」と答えて、溺死刑に処せられる。個としてあくまで自分の生き方(信仰)を主張するのです。そうした個と個がぶつかると、どちらかが破滅するしかない。彼らの中には善と悪の二極しかないからです。三十年戦争の悲劇はそのようにして生まれました。考えてみればキリスト教というのは過酷な宗教です。仏教のような輪廻転生がない。人の人生は一回きり。死んでしまえばやりなおしはききません。善と悪の最後の大戦アルマゲドンの日まで死者は眠り続けるのです。だから自分の全存在をかけて、命をかけて、主張しなくてはならない。かのスタンリー・キューブリックは記者に「シャイニング」の内容を尋ねられて「楽天家の映画だ」と答えたそうです。なるほど、考えてみれば、どんなホラーであっても、死者のヨミガエリを扱うような物語はすべて「楽天的」なのでしょう。
「来世」という夢を見せてくれる「仏教」は、つくづく甘い(優しい)教えです。
(-∧-;) 南無南無
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by rotarotajp | 2005-10-31 17:56 | バロック

頭が痛い!

本日は頭痛の日でありますよ・・・CoD2のAUS版入荷は11月に延びてしまうし・・・ああ・・・すでに出荷されているUS版を買おうにも2000円が微妙に惜しいしで、むうぅ・・・心は千々に乱れますなぁ・・・。はい、真昼間ですがヤル気でないです。ここ数ヶ月、わが「バロック探求」の中で一番肝心な「トリノ包囲戦」の情報も全然集まりません。「すんげーラクチン」な部分かと思ったのですが、そうでもありませんでした。トリノ・オリンピックに向けて改装でもしているのか、目をつけていたピエトロ・ミッカ博物館のHPも閉鎖のままです。リンク・ページも消えてしまって大ショック。例によってこれまでわかっている「大まかな流れ」をメモ的に書きとめておこうかと思います。
包囲戦は1706年5月14日に始まりました。総勢4万のフランス・スペイン連合軍の司令はラ・フゥイヤード公、対するトリノ守備軍7000の総帥はグラフ将軍。トリノの支配者、サヴォイ公爵は包囲戦が始まるや少数の騎兵を率いてトリノを脱出、外からフランス軍をゆさぶります。ま、何処を見ても「少数」と書いてあるんですが、少数ってはどのぐらいだよ!コラ!と問いただしたい。出撃の日取りもわからない。こう曖昧な記述しかないというのは、実際に記録がないのかもしれません。(外国モノを調べていて、非常に苛立たしいのは一次資料を探る方法がないってことです)ラ・フゥイヤードはトリノ包囲に手間取り「泥の心を持つ」と酷評されるのですが、公爵のトリノ脱出を聞くと、いったん包囲網を解いて公爵を捕捉しようとします。公爵の身柄がすなわちサヴォイ領ですから、目が眩んだのでしょう。公爵のほうもそれを計算しての賭けだったはずです。さて、公爵のトリノ脱出日が不明なので日付の後先が違うかもしれませんが、5月23日、イタリアの戦局を変える大事件が北方で起こりました。あのクレモナで捕虜になったヴィルロワ公が、またしても大敗北を喫したのです。よくよく軍才のない人だったのでしょうね。スペイン領オランダを守護すべき8万の軍勢が四散してしまう。英軍はアントワープに入城。スペイン継承戦争中の決定的な会戦の一つとなりました。これが世にいう「ラミリーの会戦」です。フランスにとっては青天の霹靂です。低地地帯を越えたら、すぐそこにパリがある。太陽王はイタリア方面でオイゲン公子の軍をおさえていたヴァンドーム公を急遽北に派遣します。手強いヴァンドーム公の配置替えは、トリノ解放を狙っていたオイゲン公子にとっては又とない追い風となりました。オイゲン公子は軍団を率いてアディジェ河を渡り、フランス軍を迂回して南下。ヴェネチア領に入ります。フランス軍をやり過ごした後はひたすら西へ向かう。補給も何もありませんから、兵士らは飢えと乾き、そして夏の太陽に苦しめられながら行軍しました。
オイゲン軍のトリノ進出は不可能と思われていましたが、公子はそれをやり遂げてしまう。アスティ近辺でサヴォイ公爵と合流。(諸説あり。確認中。カルマニョーラ、ステローニ村等)南方からトリノに接近し、ついに9月2日、スペルガの丘に立って、敵軍を見下ろす事になるのです。
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by rotarotajp | 2005-10-28 14:39 | バロック

法華経追記

下のを読み直していて「妙なる法華経」という書き方はヤバい。と思いましたので補足いたします。普通、妙法蓮華経を約して法華経といっています。で、妙の説明がないと浮いてしまうのでつい「妙なる」と簡単に付け足してしまいましたが、意味的には間違っていないと思うにしても「妙法蓮華経」という言葉は一体として鳩摩羅什訳の法蓮華経を指しています。わかり易くする為にヘラヘラと筆が走ったという奴で恥ずかしい限り。昼飯時はやっぱり脳に血がいってないですね。消そうかとも思いましたが教訓の為にこのままで(^-^; いや、このようにして人は成長していくのですよ、わっはっは
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by rotarotajp | 2005-10-26 19:51 | バロック

南無

昨日、法然さんの事を考え始めてから、そこから自分を引き剥がせなくなりました。こういう時はもう少しお付き合いするほかないようで、以前明恵さんの時、参考用に購入した「法然」(大橋俊雄著:講談社学術文庫)という本をつまみ読みしています。法然さんといえば学校の歴史でも習った覚えがある「選択本願念仏」。法然さんは八万四千の法門の中から、選択(せんちゃく)に選択を重ねて、ついに「南無阿弥陀仏」の一行に辿り着いたらしい。法然さんにとっての仏教のエキスです。法然さんの専修念仏とはすなわち、ただ一重に阿弥陀様にすがりつく行為。だから阿弥陀様の名前を唱え、気持ちを阿弥陀様に集中させるのです。
そういう思想だから、念仏のうちの「阿弥陀仏」は簡単に理解できます。
しかし、それだけ選りすぐった言葉のうちの「南無」とは一体なんぞや?そう疑問に思うのはRotaばかりではありますまい。ある仏教者のように「ありゃ有難い言葉の前につく枕詞さぁ」の一言で片付けられては、凡人としては困ってしまうのであります。
別に調べましたところ、南無の語源はサンスクリットのnamasまたはnamoだそうで、ようするに音写文字ですから、漢字からは意味が探れませぬ。「ナマステ」とは周知のようにインドの方の挨拶です。「南無」はこれと同じ語源であります。色々な説を読むと、ある人の曰く「南無」とは「敬礼」である、が一番正しいような気がいたします。南無を意訳して「帰依いたします」の意とするのは、意味がくどくなりすぎる。もちろん「南無阿弥陀仏」という念仏の意味するところはそうなのですが、念仏の言葉としての「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀仏・様」ぐらいの意味だろうと思います。「南無妙法蓮華経」は「妙なる法華経・様」と唱えているだけのこと。こういった「お唱えモノ」は完全に意味がわかってしまっては、なんとなく有り難味が失せてしまう。坊さんが読むお経も、普通に読めばただの物語ですが、節をつけて難解に読むから衆生には有難い。っと、まあ、本日の妄想はここまで。いや、それにつけても宗教はヘタに歴史が重なってるだけに難しいですのう。信心する気は毛頭ありませんが、珍しい動物のような魅力があります。
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by rotarotajp | 2005-10-26 12:55 | バロック

日曜日は2個書く!

実は面白い事をはじめて知ったので追記。
歴代フランス王の遺骸は普通サン・ドニ寺院に埋葬されておりました。ところが「ルイ14世のお墓」というのは、あまり聞きません。ヴェルサイユがあれほど喧伝されているのですから、お墓の方にも人気が集まりそうですが、パっと思い浮かばないんですね。で、チョット調べてみましたら、王のお墓、実は革命の時に暴かれてしまったのだそうです。集まった暴徒が鉛の封印を剥がし、皆でワイワイ騒ぎながら王の遺骸をたらい回しにして、最後には教会の外の溝に捨ててしまったとか。あの太陽王の遺骸をですよ!ちなみに遺骸は密封されていた為、ほとんど腐敗していなかったそうです。なるほど、お墓が観光名所になるはずがない(笑。宣伝したくないからでしょうが、そうした事情はパリの観光案内などにもあまり書かれていないようです。ところで別に取り出された王の心臓はサン・ポール・サン・ルイ教会に納められておりましたが、これまた革命時に持ち出されてしまう。この心臓は磨り潰され、絵の具に混ぜられて、革命絵画の彩色に使われたと伝えられています。ルーブルで革命の絵を見るときは、ぜひ御注意あれ。あなたは王の心臓を目にしているのかもしれませんぞ!
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by rotarotajp | 2005-10-16 17:37 | バロック

軍隊

日本の軍隊で上官に何事かを命じられたなら「はっ!」と元気よく答えるのが流儀でありましょう。英語ならご存知の通り「Yes Sir!」です。さて、しかしこれがフランス語ともなると「Oui、Monsieur!」であります。腰から力が抜けます。ブルドー1946年モノのワインを注文されたわけでも、オシャレな街角でデミ・カフェを給仕しているわけでもない。「突撃!!」の命令に「Oui、Monsieur!」ですよ・・・フランス語というのは、なんとも軍隊の雰囲気に合わないのです。イタリア語なら「Si Signore」。パスタとピザ食って満腹になったけどチーズがないぞ、コラって響きです。あまり言い募ると「偏見だ」とバッサリ(正論を)いわれそうですが、ラテン国家の文化は、どうもRotaが思う軍隊の姿に、馴染まないのです。一般に(これもステレオタイプですがね)ラテンの戦争は気分に左右されているようです。勝っている時はトコトン強いが、負けるとなるとあっさり負ける。一方、英国やらドイツやらの戦争は二枚腰、三枚腰。状況が悪くなっても、いったん始めた戦争はトコトンやる。意固地といっていいでしょう。30年戦争しかり、諸継承戦争しかり、ナポレオン戦争、世界大戦しかりです。フランスやスペインやイタリアには「もうやめた。好きにしなさい」的な大崩壊がありますが、英国や北方の国には少ないようです。マジノ線を突破されたフランス軍の元帥は、チャーチルの提案する善後策には耳を貸そうともせず「フランスはもう負けました」と平然と言っておったそうです。ナポレオンが一人で頑張っている時に、パリがあっさり開城なんて事もありました。イタリアの非戦主義は骨がらみで、戦争をしたくないばっかりにスペインやフランスやオーストリアに長い間支配され続けました。この非戦主義というのは、しかし好戦的ではない、ということではなく、職業軍人に対する蔑視的なもの、儒教における文官優位の伝統に近いようなものがあると思います。ローマ人はその退廃期に傭兵に戦争を丸投げします。金で命を買ったのです。ルネッサンスの頃に活躍した傭兵隊長らも同じ流れです。ラテンの文化では、健全な精神を持つ人間は戦争になんかいかないのです。今もフランスで第一線に真っ先に投入されるのは、例の「フランス外人部隊」だと聞いています。イタリアのイラク派兵反対運動で、先頭に立ったのは「母親」たちでありました。「戦争で息子を殺されるなんてとんでもない、ただちに撤兵せよ!」と、同じ色のリボンや旗を掲げて、社会現象になりました。かといってそうした母親たちが息子に「臆病であれ」と教えているわけでは、決してない。男の名誉が重んじられる気風ですから、要するに戦争で兵隊として死ぬという事が不名誉だと思われているとしか考えられない。過去には兵士として徴用されることを拒否した連中が、山に篭って山賊になり、とことん政府と戦った、というケースもあったそうです。こういう「命懸け」には母親たちも反対しない。それどころか一緒に武器を持って戦ったりもする。こう並べてみると、日本人は決して英国・ドイツ寄りの国民ではないですね。完全にラテン寄りです。気分屋だし、残虐さを嫌う傾向が強く、粘り腰なんてあったためしがない。矛盾の塊、憲法九条はイタリアの母親の非戦主義に似ています。ポキっと折れる固い棒のような戦争しかしない特徴もそっくりですな。もっと仏伊に共感を持ってもよさそうなところ、しかしなぜか帝国日本の頃から英国・ドイツ好きが多い。本当に不思議であります。とまあ、こういう偏見バリバリの文章を書くと絶対に某友人に怒られるのですがね・・・しかし「国民性」というものは確固として存在するのだ!という主張をこめて・・・(笑
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by rotarotajp | 2005-10-16 17:14 | バロック

将軍考ノ1

ナポレオンを破った「鉄の公爵」(IronDuke)ウェリントン公は、何の折にか「By God, I dont think it would have been done if I had not been here.」とつぶやいたと云われています。一軍を率いる将軍は、少なくとも近代以前までは、必要不可欠、軍の性格まで決めてしまう存在でありました。取替えのきく歯車ではなかったのです。有力な将軍のいる国は強く、人材に乏しい国はそれなりに、悪将を抱えた国は、悪くすると滅びてしまいました。オイゲン公子などは優秀な将軍の典型で、彼が指揮を執ると、負け続けの軍が突然強くなるという事が度々だったと伝えられています。晩年は国の柱石として、皇帝以上に重みある存在となりました。では、一体どんな人間が優れた将軍になるのか?というと、これは結果によって測るしかないようです。オイゲン公子はフランスで軍職を希望しましたが、王にはねつけられて帝国の軍人となりました。以後フランスに手酷い敗北を何度も味あわせたのは御存知の通り。さすがの太陽王にもオイゲン公子の素質は見抜けなかったのです。優れた人格者といわれ、王の無二の親友であり、人望厚かったヴィルロワ公は、キアリで敗北、クレモナでは奇襲を受けて捕虜になり、ラミリーではオランダを丸ごと失う大敗北を喫しました。ナポレオンはコルシカ出身の小生意気なチビで、周囲からはとても役立ちそうな奴ではないと思われておりましたが、神聖帝国とロシア帝国、カエサルの末裔を名乗る皇帝二人をアウステルリッツでコテンパンに破りました。
軍の機械化が進んだ今も、その役割は小さくなったとはいえ、将軍の人選には国の浮沈がかかっております。ぼんやりと、自衛隊の将軍はどんな風に選ばれているのかな、と今夢想しておりました。・・・・マークシートの筆記試験じゃないといいんですがねぇ(笑
嗚呼、膝が痛てぇ(;つД`)
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by rotarotajp | 2005-10-11 18:53 | バロック

Pietro Micca

ピエトロ・ミッカと聞けば軍事に詳しい人はスグにピンとくるかもしれません。なにせイタリア王国軍には、やたらと「ピエトロ・ミッカ」が多い。潜水艦の型名であったり、巡洋艦のそれであったり、部隊名であったりする。様々です。で、このピエトロ・ミッカというのは何者の名前かというと、イタリア版爆弾三勇士的な御方。
スペイン継承戦争中の天王山と目されるトリノ包囲戦は1706年5月に始まりました。la Feuillarde率いるフランス・スペイン連合軍はおよそ40000、対するトリノ防衛軍はGraf将軍に率いられた7000。帝国が応援に出せる一番手近い部隊はオイゲン公子の軍ですが、これはヴァンドーム公に率いられたフランスの別動軍団に足止めされている。オルレアン公フィリップ率いる新手がイタリアに南下したとの報もあり、トリノ陥落は時間の問題と思われていました。
ところが、トリノ城内の7000は意外にシブトい。故郷が戦場となると、嘘のように強くなるのがイタリアの軍隊の特徴です。トルコのウィーン包囲以来、攻城戦は地下戦争、塹壕戦争が主流となっています。攻める側も、守る側も、必死でトンネルを掘り、敵の城壁、敵の陣地、敵のトンネル、の間近で爆弾を爆発させる。トリノ側は降伏なぞ考えた事もないというように、果敢にフランス軍に戦いを挑みます。サヴォア公爵ヴィットリオ・アメデオ自身も、少人数の騎兵を率いてフランス軍を側面から悩ませる。la Feuillardeは予想外の成り行きに困惑します。
ピエトロ・ミッカは、この包囲戦中の、トリノ守備兵の一人でした。彼は味方の敗勢を見るや、爆弾を小脇に抱えて狭いトンネルに潜り込み、敵陣地の真下で自爆して果てたといわれています。トリノは陥落を免れました。(ちなみに、これは「ミッカの抱えていた爆弾のヒューズの故障に過ぎなかった」という証言もあるようでありますが、出典不明)
ピエトロ・ミッカはトリノを首都とするサヴォア公領の救世主とされ、サヴォア公爵がシチリア王、サルディニア王となり、後にイタリア王国の王家となっても、彼の名前は「英雄」の代名詞として受け継がれました。今もトリノにはピエトロ・ミッカ博物館があるはずです。その間、およそ300年。60年前、日本でも無数の英雄が生まれたはずですが、そうした犠牲を顕彰する場所は少ないようです。まず勝ってこその「英雄」という事でもありましょうか。歴史は無情であります。
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by rotarotajp | 2005-09-29 17:53 | バロック

王の時代

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王の時代に君臨した王、バロックの君主らは、みなどこか化け物じみています。まず自分は神に選ばれた特別な人間だと思い込んでいる。殊にフランス王の手は神の手とされ、病を癒す特別な力を持つともされておりました。そんなに有難い神様のはずなのに、太陽王の信仰は「炭焼きの信心とかわらぬ」と酷評されるほど浅薄。当時の主要な教養である「神学」なぞ、王はトンと御存じないのです。人間の「型」が教育によって造られるものだとしたら、バロックの王はおしなべてそうした「型」とは無縁の人々でした。彼らはみな反逆児だったのです。今のイメージでいえば、おそらくツッパリ・パンク青年(今のイメージ?)みたいなもので、年寄りの繰言なぞクソくらえ、暗い宗教の囁きなぞ一顧だにせず、科学だ、生命だ、太陽だ!と、残酷な歓びの雄叫びを上げる。あの壮大なヴェルサイユも、ある一人の青年の、常識への反逆から創られたと思えば、それを有難がる老年の観光客諸氏の感嘆の顔が、極めて場違いなものに思えます。ありゃナンパ連れ込み用ラブホみたいなもんです。科学といっても当時の科学は錬金術から占星術、妖しげな諸々を含みますから、要するに新しい知識と思えるものならなんでも良かったのでしょう。それが実際に成果をもたらす事もありました。アウグスト強健王は錬金術師ヨハン・フリードリヒ・ベドガーを見込んで、彼に白磁の開発を命じ、それが後にマイセン磁器の誕生につながります。マイセン磁器は莫大な収入をもたらしました。ちなみにアウグスト強健王はライオンの乳で育てられたとかで、そのせいなのでしょうか、女性に目がなく、300人を越える実子を「製造」した英雄としても知られております。さて、若さを売りにしたバロックの反逆児らはやがて絶滅します。時代は繊細さを求め、浪費は非難され、男はみな悦楽の追及に夢中となり、為に男の快楽の源泉である女性が権力を握ります。バロックに取って代わったロココは、神に疲れた王を人間に引き戻し、人間となった王は、しかし結局は無用の長物として、遠からぬ将来に失われていくのです。パンク青年のナレの果てでござりまするな。南無南無
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by rotarotajp | 2005-09-28 18:34 | バロック

食悦奇譚

塚田孝雄先生著「食悦奇譚」は中公文庫から出ております。内容は正に題字の通り。印象深いエピソードが幾つも収録されておりますが、中でもRotaが「げげっ」と思いましたのはネルソン提督のお話。言うまでもなくホレーショ・ネルソンと申しますれば、英国海軍の大英雄です。隻目、片腕の身で戦列艦に乗り組み、英国艦隊を指揮。トラファルガー海戦でナポレオンの野望を打ち砕いて大勝利をおさめるも、自身は狙撃兵の弾丸に貫かれて戦死してしまいます。国葬の後、遺体はセント・ポール寺院の地下に収められる。トラファルガー広場には今も高い石柱の上に救国の英雄ネルソン提督閣下の銅像がたっておるわけでございます。が・・・問題はこの提督の遺体の運搬法であります。士官らは提督の遺体を、痛まぬようラム酒の樽に漬けました。(トラファルガー海戦は10月です。さほど急激に痛むはずもなかったでしょうから、士官の中にすでに「国葬」を意識した者がいたのかもしれません)
イギリス海軍のラム酒というのは伝統的にアルコール度数が異様に高いものでして、時には度数が70~80%に達するブレンドもあったそうです。そんな酒が一日一合、水兵らに支給されておりました。アルコール依存症にならん方がおかしい。艦内は依存症患者の巣窟です。少しでも「飲める酒」はないかと、みな目を血走らせている。提督の遺体が故国に着く頃、遺体をおさめた樽のラム酒はすっかり「蒸発」していたのだそうです。水兵らが夜毎ストローを樽の隙間に突っ込んでチューチュー吸いきってしまったのだとか・・・。どの程度信憑性のある事なのかは、今となっては確認のしようがない話だとは思いますが、しかし、もしこれが本当にあった事だとして、吸ってる方は遺体が入っていることを知って吸ったのでしょうかねぇ?味に変化はなかったのでしょうか(^-^;
かっかっか・・・まあ、英雄ネルソンも、さぞや居心地が悪かったことでありましょう。
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by rotarotajp | 2005-09-26 17:26 | バロック