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日々是勉学


by rotarotajp
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けっ( ゚д゚)、

 政治は気分の悪いものだなぁと思います。郵政組復党で異議を唱えていたいわゆる「刺客」が狙い撃ちで晒されています。例の女性議員らが「官製談合防止法改正案」の採決を無断で欠席したという問題です。タイミングからいっても、問題の性質からいっても、郵政反対派の復党に絡んだ動きのはずですが、メディアの見出しは揃って「国会採決欠席」。一紙ぐらい「党による嫌がらせか?」と書いてもよさそうなものを、党の側がなまじ正論を盾にしているだけに、それもない。大人のイジメにしか見えません。大人のイジメは立場の強い者が反論しにくい些細な事実を針小棒大に拡大し、その人の人格攻撃にまで発展させるのが特徴です。今までの自民党に採決を欠席する議員がいなかったとでもいうのでしょうか?一人は差し替えを入れたが手違いがあったと主張、もう一人は党務があったと説明しています。誰かに「引っ掛けられた」のではないかとも疑ってしまいます。走狗煮らるそのままの姿で、実に気持ちが悪い。政治の手法が、というよりは、メディアが一律に異論なく報道している現状が気色悪い。政治の一面に載せるほどの記事なら、これまでにあった他の欠席例や、二人の議員がそのとき何をしていたかの詳細、差し替えの有無、議員が主張する「ミス」の具体的な正体を精査し、重要なものは見出しに含めるべきでしょう。(もし本当に差し替えの手配が嘘であるなら、そちらの方が議員の資質にかかわる大問題です)
 ちなみに問題になっている法案は衆院経済産業委員会で、自民公明、共産党!などの賛成多数で可決されています。もとより可決確実の情勢だったのです。
# by rotarotajp | 2006-12-02 20:13 | 時事

Heinrich Himmler

 ヒトラーは親衛隊のハインリヒ=ヒムラーを「わたしのイグナチウス(イグナチオ)」と呼んだそうです。
 イグナチウス=ロヨラはイエズス会(ジュズイット教団)の創設者。戦闘で負傷し、その療養中に大回心をした人です。(その意味ではよりヒトラーに似ているような気がします。ヒトラーは毒ガスによる失明治療中に「啓示」を得たといわれています)ヒトラーがヒムラーをイグナチウスに例えたのは、親衛隊がイエズス会を組織のモデルとしたからでしょう。
 親衛隊にイエズス会のような「結社」的風貌が刻み付けられたのは、その必要があったというよりは、ヒムラー個人の趣味だったと思われます。
 おかげで隊にはルーン文字の使用や、髑髏記章、短剣の授与、人種育成等々、なにやら最後まで錬金術師的な胡散臭さが付きまといました。(ちなみによく取り上げられる党のオカルティシズムは最終的にはパージされています。オカルトの保護者であった副総統ルドルフ・ヘスの渡英(逃亡)がパージの契機であったといわれます)
 ヒムラーは城(ヴェヴェルスブルグ城というらしいのですが、位置は知りません。フン族の侵攻を食い止めた要塞の一つであったとの事)に篭り、12人の親衛隊大将と円卓を囲み、瞑想の時間をもつ事もあったといいます。
 彼は日本語で言えば「農本主義者」で、農民の中にこそドイツの最も高貴な種が眠っていると考えました。
 ヒムラーの人種育成政策は、彼が経営していた養鶏場を連想させます。ヒムラーは交配管理によって、ドイツにとって望ましいと思われる(彼らが思った)人間を純化し、培養しようとしました。(その初期、結婚しようとする親衛隊将校は、自分と婚約者の血統証明、並びに両者の水着写真を提出し、ヒムラーによる体型等々の鑑定を受けなくてはならなかった。ヒムラーは背の高い者を好んだが、背が高くとも細過ぎてはならず、また膝下や肘下の長さが不足する者は忌避したとのことである。将校はヒムラーが理想とする体型、手足の比率を備えなくてはならなかった。ヒムラーは自分に外見から人の素質を見抜く目があると養鶏家らしい自信を持っていたようである。寡聞にして、実際に養鶏家が親鳥の外見からヒナの将来を見抜けるものなのかどうかは知らぬ)血統が証明された親衛隊の妻らには安全な出産施設が用意され、多産が奨励されました。(女性は特に多産に魅力を感じなかったようで、多々のプロパガンダ&優遇政策にもかかわらず、結果は出なかった。結婚審査も親衛隊員の流出、応募減少を招いたので、結局緩和されたそうな)
 ヒムラー自身の容貌は彼の理想とは大きくかけ離れておりまして、親衛隊No2だったハイドリヒなどは酒に酔うと「奴を見てみろ!あの鼻を、顎を!ユダヤ人そのものじゃないか!」と喚いたそうです。流布されている写真の一部は若干修正されているようにも見えます。隊員には虫歯一本の欠陥も許しませんでしたが、自身は視力が弱く眼鏡をかけていました。
 党にとってこうした政策は「民族の血の防衛」でありまして、総統がこの点で恐れたのは、国内のユダヤ人による混血の増加と、フランスが国境地帯に配備するアフリカ出身の外人部隊による「黒い」人種汚染であったといいます。
 近い将来には雑婚が進み、地球上の人間はすべて同じ外見になる、とまでいわれる現代から考えれば、こうしたドイツの「恐れ」は奇想科学に属する笑い話なのですが、当時は立派な「学問」であったことに留意する必要があります。
 ちなみにアルベルト・シュペーアはヒムラーを評して「なかば校長、なかば狂人」といったそうです。そしてそれは、そのまま第三帝国そのものの性格でもあったように思います。厳格にして狂。理想主義的にして狂。管理者にして狂。
# by rotarotajp | 2006-12-01 19:01 | 時事

(;´Д`)

 どうにも元気が出ない。冬の足音というのは嫌なものです。鬱々として気持ちが晴れぬ。そんなわけで世間のニュースにも疎く、そちらを見る時間を削って、相変わらず自分を鼓舞する読書を続けています。濫読の気があるので題材は様々。ザンス・シリーズの読み損ねていた中間の一冊、井筒俊彦著「イスラーム文化」(岩波)、最近始めたフライト・シムの影響で坂井三郎「大空のサムライ」、豊田穣「ミッドウェー戦記」、柳田邦男「零戦燃ゆ」文春文庫版の第5巻。半分は速読だから、ほとんど飛ばし読みであります。
「イスラーム文化」にあった「イスラムには僧侶がいない」という指摘は、ちょっとそういわれてみるまで気付きませんでした。イスラムにはコーランを深く研究する聖職者的人物(こうした人をウラマーと呼ぶそうです)はいても、いわゆる神父や牧師や、日本の僧侶のような聖職者はいないのだそうです。と、いうのは、つまりイスラム信者は神の前で平等なのであり、その聖俗を区別しないからであります。イスラム国家というのは、すべからく(実際はどうであれ)神権国家なわけですな。イスラムにおける神の声はコーランでありますから、国家の礎がこの聖典に置かれている。
ところで、コーランが成立した時代(男性が戦争で死に、女性が余りに余った時代だったそうです)には、女性というのは極めて忌まわしいものでありましたそうで、妻が妊娠して「娘をもつ」というのは、その夫にとっては非常なる屈辱であったのだそうです。女性がいなければ困ると思うのですが、まあ、産み分け技術があるわけでなし、いくら嫌っても自然と生まれ、支障がなかったという事でしょうか。
 コーランには「神に娘(つまり女神)がある」という風説を批判するこんな一節があるのだそうです。
「誰でも(生まれた子が)女のお子さんですと告げられると、さっと顔を曇らせて、胸は恨みに煮えかえり、あまりの嫌な知らせに、仲間から身を隠してしまう」それなのに、なぜ神には娘があるなどというのか!と、この文章は続きます。イスラム教徒ではない日本人なら「えええ?ちょっとひどいなぁ」と思うのは必定であります。
「不面目を忍んでそれ(女の子供)をかかえるか、それとも土の中にそれを埋めるか・・・」という文章もあるそうで、これは日本で言えば間引きでしょうか。(ただしこれは「当時の風習」であって、コーラン自体は女性を蔑むのではなく、そこから女性の地位を引き上げ、両性を平等にする努力を行っているのだ、とは信者の方の文章にありました)
 コーランに基づく現代の原理的イスラム国家は、こうした女性の扱いをどう操作(解釈)しているのでしょうか?イスラムを信心する女性はこうした一文をどう理解するのでしょうか?
 最近、フランスで女生徒のスカーフ(ベール、ブルカ)が問題になり、それを禁止する法令を「国家による宗教差別」と問題にするメディアもありました。この件についてRotaはこれまで確たる意見を持っていなかったのですが、宗教が特定の人間を差別している時に(本来は女性の地位を引き上げる意味のあったものが、現代のパラダイムの中では女性蔑視につながっている)その差別を禁じるのは、宗教と対角線上にある世俗の役目なのだろうなぁ、とこの本を読みながら(流し読みですが・・・)思ったりしたのであります。
 とはいえ「宗教」は難しく、信心出来ない者は傍観者でしかありません。
 女性の性を商品として扱う西欧やアジアの文明が素晴らしいというわけでも決してありますまい。
 結論は「やっぱりよくわからん」です。でも「読書」は、きっとこの「わからん」が明確になるのがいいんでしょうね。
(;´Д`)_d0052110_18263780.jpg

# by rotarotajp | 2006-11-29 18:26 | 時事

レクサス

 格別重要でも何でもないニュースに思えますが面白いので一考察。

「レクサスのカーナビ、竹島表示で一騒動・韓国」
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20061124AT2M2000U24112006.html
朝鮮日報が報じた「トヨタ、レクサスのカーナビに竹島なし」に対し、東亜日報が地図を拡大表示すると竹島が表示され、警備隊の電話番号まで出てくると紹介。どっちが本当なんだと非常に気になります(*´∀`)

で、おそらく東亜日報の報道に対する反論的記事なのでしょうが朝鮮日報から続報が出ています。

韓国トヨタ「レクサスのカーナビに独島を表示します」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/22/20061122000021.html

「レクサスのカーナビ:なぜ独島の地名を消したのか」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/24/20061124000020.html

「国民感情」として、本来は大きく全体図にも載せてなければならない「独島」(日本名:竹島)がなぜに「検索」しないと出てこないような扱いなのか!と、開き直った記事になっています(*´∀`)(*´∀`)(縮尺いじらなきゃあんな小さな島が全体図で見えるはずないやん)

 最初の段階でそういう記事にしておけばこれほど報道される事もなかったはず。どうも第一報が少々底の浅い調査記事だったようです。

 この件でかえって浮き彫りになってしまったのが、日本企業の「儲ければよし!」的体質。韓国トヨタはただちに謝罪して地図の修正を約束したとの事ですが、これはつまり韓国の「国民感情」に配慮した地図を配布するという事でしょう。もっとも地名はそれぞれの国に固有の呼び方がありますから、格別に領土問題と結びつける必要もないのですが、「国民感情に配慮する地図」が、もし韓国国旗を島の上に重ねるような特殊なもの、朝鮮日報が指摘する「同じ日本車のインフィニティが独島の地名に加え、大きな太極旗の絵まで表示している」という方式にすると、これは地名以上の政治的主張に類するもので、やはり日本ではその良識を疑われる事になるでしょうし、そうした二面性(日本でも車を売っているわけですから)はアチラでもコチラでも「誠実さに欠ける」と、とられるのではないかと思います。
 考えてみれば国際企業にはこうした踏み絵が一杯あります。昨日の投稿ではありませんが中国や台湾でもナビの表記は問題でしょう。
 企業のクライシス・マネージャーも「どうしよう・・」と脂汗を流しているのではないかと推察。クールに政治的主張を交えずに処理する(変な強調や旗なぞはつけない)のが最良手とシロウトには思われますが、さて、どう落着するのやら・・・。
# by rotarotajp | 2006-11-24 20:36 | 時事

中国(´-ω-`)?

 どうも鬱々が抜けきらず気力が湧いて来ないので、久しぶりに読書週間。と、いっても新しい本を読み込むほどの根性もないので、たらたらと以前に読んだ本を再読です。林語堂「中国=文化と思想」(講談社学術)をぱらぱらと。以前新幹線での移動中に一気読みした本ですが、移動中の読書は頁は進むが内容は頭に残らんと改めて再認識。シナの「文学生活」などに長々と一章が割かれていて、なかなかの読み応え。・・・で、今思ったのですが、この邦題はヒドイなと。原題は「MyCountryAndMyPeople」どこをどう意訳すれば「中国=文化と思想」になるのやら?(内容はそんな感じのものですが・・・)またいつも悩まされるのが「中国」という文字。これが中原の国という「中国」ならまだしも、もしこれが「中華人民共和国」の略なら、少々やはり意味合いが違う。中華民国(台湾)と区別する為にも「中共」とするか・・・いや、勿論「区別の必要なし!」という意見もあるんでしょうが・・・しかし日本の庶民の感覚では、台湾はやはり大陸「中共」の一部ではない。いちいち「中国」がどの意味の略であるか説明もしづらいですし、微妙な政治問題を含んでいる以上、国際標準にのっとって、日本人は、あの地域の文明国家を総称するものとして「秦~清」に由来するChina=シナと呼ぶ方が、まだしも正しいような気がします。このような混乱、きっと日本が漢字文化圏にあることが禍しているのでしょうね。ただし、シナという外国称で呼ばれる事に不快感を持つ人もシナにはいるそうです。普通に考えると日本がJAPANと呼ばれるようなものであるはずですが、日本帝国時代に「シナ」が日本で蔑称として使われていたからだそうです。やや理解しづらいですが、日本人はちょっとした言葉の響きに侮辱を混ぜるのがとても上手ですから、そこはあながち嘘ではないような気がします。いっそラテン読みを離れて英語読みの「チャイナ」に統一すれば良いかとも思われます。ということで、草の根的に当ブログでは今後シナをチャイナと書くぞ!と決めて本日は閉幕。現代のチャイナの支配国家である中華人民共和国はこれまで同様「中共」で。

一読して林語堂のことがわからないとワケわからん文章だと気付いたので補足します。本の解説によると林語堂は1900年代の前半に活躍した人物。パール・バックに進められて「MyCountryAndMyPeople」を執筆、原題の通り、チャイナの風土や人々の生活・思想を簡潔に語ったものです。1935年にアメリカで出版してベストセラーになります。福健省の生まれですが、欧米に留学を繰り返し、アメリカ生活も長く、チャイナ(笑)を代表する知識人。・・・ああ、チャイナと書くとなんか変だ(笑)やっぱり普通に「中国」と書こうかな・・・(;´Д`)
# by rotarotajp | 2006-11-23 22:32 | 時事